4)「ドクターショッピング」する理由(わけ)(すごろく図⑤~⑫)

  • 前述の通り、うつ病患者が所謂ドクターショッピングに陥るのは、不安と焦りからだと書いた。では何故、そのような不安と焦りをうつ病患者は抱くことになるのだろうか。
  • 問題は、現代医学に対する一般社会の認識にある。

絶大な信頼感

  • 一般社会は現代医学に対して絶大な信頼感を持っている。それは或る意味では当然のことだ。その理由は、戦前の日本のことを想起してみればすぐにわかる。
     
  • 戦前の日本では「脚気、回虫、結核」の「三つのK」が三大国民病だった。即ち、国民の食生活と営養水準の貧困、寄生虫症、そして細菌感染症である。だがご承知の通り、それは戦後になって劇的に克服された。

  • これは、微量必須営養素に関する知識の普及、食生活と営養水準の改善、上下水道整備や営農方法の改善、感染検査の徹底と駆虫薬の普及、中間宿主動物の駆除や撲滅、そして抗生物質をはじめとする特効薬の開発と普及などがあったためである。広い意味で、これはまさに現代医学の勝利だと言えよう。 

現代医学の連戦連勝

  • その後もその他の疾病に関しても、日進月歩の勢いで知見が進み、乳幼児死亡率の劇的な低下などはもちろんのこと、今や世界有数の長寿社会が実現されたことはご承知の通りだ。まさしく現代医学は連戦連勝と言えよう。
     
  • 現代の一般社会は、このような現代医学の進歩に慣れきっている。だがその進歩は、実は「からだの病気」に関する医学の進歩なのである。

 

 

「からだの病気」との苦闘

  • もっとも「からだの病気」に対して医学がこのように連戦連勝を収めるようになったのも、歴史的にはつい最近のことだ。戦前はどうだったのか、結核を例に考えてみよう。
  • 既に19世紀にコッホが結核菌を発見していたから、結核の病因は判明していた。だが、根治できる治療法がない。ストレプトマイシンを嚆矢とする抗生物質など、結核菌に対する特効薬が開発普及したのは戦後のことだ。
    戦前にはそんなものはない。だから、感染した結核菌を直接撃滅させる手段がなかったのだ。

  • それでも当時の医師たち医療関係者が手をこまねいていたわけではない。
    医師たちは病巣を封じ込めるために外科手術を施し、身体の負担を避けるために安静と転地療養を進め、抵抗力をつけるために営養改善を指導した。
  • 目の前に患者が現れたら、とにかくその時点で実行可能な手段を以って最善を尽くすのが、医師と言う職業なのだ。

「こころの病気」の現状

  • うつ病など「こころの病気」に対する現代医学は、まさに結核に対する戦前の医学と相似した状況にある。いや、既に書いたようにうつは原因もメカニズムも未解明なのだから、状況はもっと不利だ。
  • だがそのような現状でも、精神科や心療内科の医師たち医療関係者は最善を尽くしている。その不断の奮闘努力には、心から尊敬と謝意を表したい。
  • 現状では、うつは病因もメカニズムも未解明だ。原因も仕組みも分からないのだから、完全な治療法もない。
  • もちろん各種の治療法が考案されているが、既に述べた通り患者は、その中から自分にとって最適な治療法を自身で取捨選択しなければならない。これも決定打と言える治療法がないからだ。
  • 誤解の無いよう念の為ここで予めお断りしておくが、このような現状に対してここでは何らの否定や批判をしているつもりは一切ない。それは前述の通りである。

「こころの病気」と一般社会

  •  従って問題なのは、一般社会側の認識なのだ。

  • 「からだの病気」に対する現代医学の連戦連勝ぶりに慣れきった一般社会は、こう期待している。
    即ち「どんな病気でも、現代医学はその原因とメカニズムを解明しており、完全な治療法を確立しているはずだ」と。

  • だから「こころの病気」に対しても、無意識に同様の先入観を持っている。
    「医者に行けば、自分のうつの原因がわかる。そして完全な治療法によって治してもらえるはずだ」と。

  • だがそれは上記に書いた通り、現実とは乖離した過剰期待というものだ。

先入観との乖離

  • このような一般社会の無意識の先入観と現実との乖離が、患者に無用の焦りと不安を生み出しているのだ。
  • その結果がドクターショッピングであり、すごろく廻りの無用な長期化である。
     
  • 再び誤解の無いよう念の為ここで予めお断りしておくが、こう書いたからと言って「うつは治らない」とか「うつから回復するのは、もう諦めろ」などと言っているわけでは全くない。うつの療養中に必要なのは、無用な焦りと不安を抱かないことなのだ。 
  • そのためには、一般社会として自分たちがどのような先入観を無意識に抱いているのか、その期待が現状に対して過剰な乖離をしていないのかどうか、予め意識的に自覚しておくことだ。
     
  • その自覚がしっかりとあれば、悪循環のすごろく廻りも療養期間の無用の長期化も、避けられる可能性が高まるのではないのだろうか。