2)「学者とかミュージシャンとかになったらどうですか」

「個性を活かせる」のか

  • これは、一見善意に見える発言だ。もちろん発言するご本人も、そう思っていることだろう。
  • だがこれを裏返せば、どうか。学者とかミュージシャンなら個性を活かせるが、それ以外の職業では個性を活かせないということだ。
  • 「ムラ社会」から異分子として排除されるためだ。

 

善意と排除のはざま

  • 従って、こういう「善意」の発言をする人に対しては、試しに聞いてみると良い。

  • 繰り返しになるが、そういう人の目の前や身近にワカスタン人がサラリーマンとして現れたら、どうなるのだろうか。
    ワカスタン人が、職場の部下或いは同僚として自分の目の前で机を並べたらどうなるのだろうか。
  • 「個性的な学者」や「個性的なミュージシャン」になれるとは結構な話しだ。
    それなら「個性的なサラリーマン」が隣の机にいては、なぜいけないのだろうか。

  • だが、もしもそう迫ったところで、せいぜい不機嫌そうな呟きが返ってくるだけだろう。

  • 唸るような口調で、そっぽを向いて「ウチ(ここ)は、そういう会社(職場)じゃないから」と。
  • これはどういう意味なのか。「そういう会社(職場)じゃない」とは、どういうことなのか。

 

無意識の自己告白

  • 結局それは
    「ウチ(ここ)は『ムラ社会』です。『掟』や『しきたり』の中に入らない個人は、受け入れることはできません。我々の集団の外部へ排除します」
    ということなのだ。
  • つまり自分たちの集団的な排他性と不寛容を告白しているだけなのだ。

 

  • もちろん発言のご本人は、よもやそんな自覚は無い。
    純粋な好意から「個性が活かせたらいいね」と親切心で発言しているつもりなのだ。

  • だがその発言には、自分たちの集団の排他性と不寛容が自明の前提になっている。
    その前提に関しては、まるっきり自覚も意識も認識もないのだ。

発想の問題点

  • なお、言うまでもないことだが、ここでの内容は実在の学者やミュージシャンの皆さんとは関係ない。
    現実のその皆さん方が、どのような気質の持ち主なのか。どのような動機で現在の職業を選択したのか。
  • もちろん、ここではそんなことを論じているわけではない。

  • 「自己の価値観とは異質な個人は、特定の職業でなければ許容できない」という発想の問題点を指摘しているだけである。
  • 文中で学者やミュージシャンとあるのは、あくまでこのような意味での例示と受け取っていただきたい。

「集めてあげるのが親切」なのか

  • この発言も全く同じことである。もちろんご本人は純粋な好意のつもりだ。「同じ気質の人たちと一緒に暮らせたら、今より幸せになれるのではないのか」と本気で親切なつもりなのだ。

現実性の問題点

  • もちろんこんな移住を計画すること自体、非現実的である。
  • 潜在的にせよ顕在化しているにせよ、ワカスタン人は日本全体で何人いるのだろうか。
    数人とか数十人とかではあるまい。

  • 「ワカスタン人?そんなのは日本人では『少数の例外』だ。そんなのは『百人に一人』くらいしか、おらんよ」
    などと思っていても、どうなるのか。
    「百人に一人」とすれば一パーセントだ。

  • だが、たとえ人口の僅か一パーセントだけだったとしても、日本全体で総計すれば百何十万人かになるではないか。
  • そんな百何十万人かの人数が一か所に移り集まったら、どうなるのか。
  • 人口三千人前後の集落では、雇用の確保どころか居住空間の確保も容易なことではないだろう。

  • だがもうお分かりの通り、問題点はそこではない。

 

問題点の根本

  • ここで
    「たとえムラ社会の中に入り混じっていても、ワカスタン人も一緒に幸せに暮らせる方法」
    を考えるのなら、根本的な問題解決策となることだろう。
  • だがその答えが「他所へ行ってしまいなさい」というのでは、全然解決策になってはいないのではないのだろうか。
  • これは一体どういうことなのだろうか。

 

異文化拒否の発想

  • 結局これも、こう言い渡していることに外ならない。
    「我々は『ムラ社会』だ。『掟』や『しきたり』に従わない個人は、受け入れることはできない。我々の外部へ排除する」
    と。

  • つまり異文化人の存在は、ムラ社会の外部に限定若しくは封鎖しておこうとする発想なのだ。
  • 両方とも、実は異分子排除の思想だ。異文化との接触拒否、若しくは交流拒否の発想が根底にある。
  • 言うまでもないことだが、この発想こそが問題とされるべき点なのだ。

  • おまけに、自分がそんな発想を抱いているとは夢にも思っていない。
  • その無自覚ぶりも、もちろん同時に問題とされるべきだろう。