3)「ムラ社会」のメカニズム(3)「要領」

「ムラ社会」のメリットとデメリット

  • ではこのようなムラスタン人にとって、「ムラ社会」に参加していることにはどのようなメリットとデメリットがあるのだろうか。

  • もちろんそれは「ムラ社会」の美徳を体感できることだ。
  • それは「場の『和』」であり「思いやり」「察し」「気配り」である。
    そして「みんな一緒」「誰もが同じ」「『同じこと』が『良いこと』」という満足感に浸れることである。
    もちろんそれはそれが美徳だという価値観の持ち主に限っての話しであるわけだが。

  • だがここで問題となるのは、デメリットの方なのだ。
  • このデメリットとは、ムラ社会への参加コストとか、負担とか言ってもいいだろう。
    では「ムラ社会」の一員であり続けるためには、どのような負担を予期しなければならないのか。

 

①個性表出の抑制

  • 当然ながら先ず最初の負担は「同質性」の観念維持だ。

  • 前記の通り、ムラスタン人個人としては、趣味・嗜好・性格その他もろもろの何もかも他人と同じわけではない。
    だが、それは「同質性」の観念に反する。
  • 従って、「事を荒立てないように」「みんなの『和』を損なわないように」他人と異なる趣味・嗜好・性格は表出を控えなければならない。
  • して他人が好む趣味や嗜好などには、社内ゴルフかカラオケか麻雀か知らないが、たとえそれらが自分の性に合わなくてもお付き合いせねばならない。もちろんこの他人とは多数派のことである。

  • 「いくらなんでも性格は変えられないじゃないか」と思ってもダメである。
  • 「いやあ、自分は結構『何々型性格』なんですよ」などと、冗談に事寄せて事前に周囲の了解を取り付けておかなければならないのだ。

  • これが「ムラ社会」の参加コストの第一「個性表出の抑制」である。

 

②現実破綻の後始末

  • だが参加コストはそれだけではない。前記の通り「ムラ社会」は現実破綻の危険を常時内包している。
  • その現実破綻は、敗戦や金融危機や経営破綻などの全面的な大規模破綻とは限らない。
    帰属する「ムラ社会」ごと、つまり職場や小組織や小集団ごとに部分的に、日常的に何かしらの破綻が繰り返されていることだろう。

  • この破綻の後始末は「ムラ社会」の面々が総出で片づけなければならない。
    たとえ自分がしでかしたことではなくても、「自分は関係ありません」などと個人の判断で離脱することは許されない。

  • これが「ムラ社会」への参加コストのその二番「現実破綻の後始末」である。

 

③情緒的満足感の維持

  • だが単に後始末をするだけでは済まない。ここに次の参加コストが待っている。どういうことか。

  • 「ムラ社会」が内包していた現実破綻の危険が、今や或る一定の出来事として現実に露呈してしまった。
    その後始末は全員総出だ。個人の判断で離脱することは許されない。
  • だが今後も「ムラ社会」を維持し続ける限り、このような破綻と後始末は何度でも繰り返されることだろう。
  • だから「同じ轍を何度踏めばいいのか」という不満が生じても不思議ではない。
    こうして心理的不満が常時潜伏してしまうことになる。

  • だが「ムラ社会」の「掟」の一つは「その場の『和』を保つ」ことだ。即ち、全員が一致して同じ情緒的満足感に浸っていなければならない。
    だから一部の内心に不満が潜伏していることは、この「掟」に反するのだ。
  • 従って、こう言って不満を宥めて回らねばならない。
    「誰れ彼れが悪いとかの話しじゃなくて、今それぞれがどうしなきゃいけないのか、何が出来るのかを一緒に考えましょうよ」などと。
  • しかしこれでは、果たして原因と問題点の所在は明らかになるのか、再発防止策は取られるのか、従って不満は解消されることになるのか、甚だ曖昧で全然わからない。

  • だからこそこの言い方は、全員が同調するまでしつこく繰り返さなければならない。
    「不満を抱くことや、それを口にすること自体が『掟』破りの行為なのだ」と、諦めてもらうためだ。
    その結果、もう誰も不満は口にできなくなり、消極的ではあるが「仕方がない、みんな諦めているのだから」と全員が同じ情緒的満足感を得ることになる。

  • このような努力と諦めが参加コストのその三番、「情緒的満足感の維持」である。

 

④「ダブルバインド」への対処

  • 最後に登場するのが「ダブルバインド」である。「ダブルバインド」とは何かについては、既に述べたのでここでは繰り返さない。
  • この二重基準に対してどのように対処するのか。
  • これが参加コストのその四番「『ダブルバインド』への対処」である。

「耐えるのが美徳」

  • 因みにこのような何重もの参加コストに耐えていることは、寧ろムラスタン人としては美徳である。
    帰属している「ムラ社会」に対する帰属意識と責任感の表れとして評価されるからだ。

  • 従って、このような参加コストを強いる環境は、通常放置される。
    見るに見かねて集団外部から介入される場合も無いことは無いが、あくまでもその参加コストに耐えることが美徳である。

  • 従ってその集団自身が環境を改善することは許されない。
    他の「ムラ社会」からは、「ムラ社会」への参加コストを勝手に減らす自分勝手な「わがまま」と見做されるからだ。

参加コストと個人の破綻

  • こう書いてくると、中にはこう思われる方もいらっしゃるのかもしれない。
    「それでは『ムラ社会』への参加コストは増える一方ではないのか。参加する個人は耐えるしかないのか。それらは全て自己犠牲なのか」と。
  • その通りである。このままでは「ムラ社会」の破綻は回避できても、個人が破綻してしまう。
    サービス残業なのか、長時間労働なのか、精神的な消耗なのか、身体を壊すのか。

  • だがここで、個人が対処する方法が登場する。以下でそれを説明する。

 

個人の破綻回避と「要領」

  • 前記のような「ムラ社会」と現実の乖離の結果、更にダブルバインドも加わって「ムラ社会」の面々個人が自己犠牲を負担させられることになった場合、どうなるのか。
  • ダブルバインドをまともに受けていては、個人の存在そのものが破綻してしまう。そこで「ムラ社会」の面々個人が対応する方法が「要領」である。
  • 次の四コマのマンガで、二コマ目に描いた四つの語句は、みな日本語として使われている言葉だ。

(因みにそのような語句を書いたからと言って、またそもそも「要領」などと書いているからと言って、ここで著者がそれを肯定したり推奨したりしている訳ではない。況や助長する意図など微塵もない。単に説明の対象として取り上げただけである。それ以外の他意はない。この点誤解の無いよう予めお断りしておく)


「第二の敗戦」

  • この「要領」が最も酷かったのが旧日本軍だろう。所謂「竹ヤリ対原爆」だ。

(山本七平「私の中の日本軍」(上・下)文春文庫1983年。同「一下級将校の見た帝国陸軍」同1987年などを参照。これらはいずれも山本七平が砲兵隊少尉として旧・大日本帝国陸軍に従軍した経験を述べたもの)

 

  • 旧日本軍は、その現実遊離の当然の結果として完膚なきまでに壊滅した。日本は無条件降伏し、日本は主権を失って全土が占領された。

  • だがその後の日本はどうか。「要領」の必要性は無くなったのか。
  • バブル崩壊後の金融危機とその後の「失われた十年(若しくは二十年)」は、「第二の敗戦」と呼ばれた。危機の原因となった現実遊離が、かつての日本軍と全く同じだったことが衆目にも明らかだったからだ。

  • だが企業の経営破綻はそれで終息したのではない。その後も破綻する企業は相変わらず続いている。
  • その間、それらの社員はどうしていたのか。ダブルバインドをかいくぐるために、「要領」を強いられて居たのではないのか。

個人ごとの対処と現実適応

  • 前記の通りこの「要領」は、集団内における過剰な負担を個人が回避する目的である。
    確かに「要領」によって、個人は「参加コスト」の回避や分散ができる。

  • だが、その個人が「要領」によって適応する対象は「現実」ではない。
    「ダブルバインド」を含めた、集団が個人に強制する「参加コスト」でしかない。
  • 従って、いくら集団に帰属している個人の面々が「要領」を発揮したところで、集団そのものが現実適応したことにはならないのだ。

  • ということは「要領」が必要になる集団とは、こんな集団だ。集団自体も、その帰属している個人の面々も、両方とも揃って現実適応を二の次にしている集団である。
  • 従って、「要領」が必要になる集団とは、現実適応に対する失敗即ち破綻の危険性を常時内包している。
    そればかりか、一層その危険性を増強させている集団だと言えるだろう。

 

「そういうことも給料のうちに入っているんだよ」

  • ここで、このような「要領」を発揮できる人は「そういうことも給料のうちに入っているんだよ」と割り切れる価値観の持ち主である。
    そしてまた、自分の帰属している集団(サラリーマンの場合は企業)が、自分がそのような「要領」を発揮している間はその集団が破綻することは無いと予測している人である。

  • もっともその予測が正しいのかどうかの保証はない。
    もし正しければ、よい。或いは少なくとも自分が定年退職を迎える時点まで正しさが続けば、よい。
    そうすれば、めでたく退職金を受け取ってリタイアできる。

  • だがもし間違っていれば、経営破綻によってサラリーマン人生の中途で失職する。

  • なお言うまでもないことだが、どのような価値観を持つのか、またどのような予測を立てるのかは、もちろん個人の自由だ。
    だから、ここではこれらの価値観や予測に対して、肯定も否定もしていない。排除もしないが推奨もしない。
  • どちらも個人の自由なのだ。この点誤解の無いよう念の為お断りしておく。

 

 

うつ病の要因として

  • だが中には、「こんな裏表の使い分けは自分の性分に合わない」という本質的な嫌悪感から、うつになる人だって居るのかもしれない。
  • 或いは「要領」そのものは否定しないものの、本来自分の発揮したい技能や発意ではなく「要領」の発揮に努力の大半を割かれることや、その「要領」の発揮の方が寧ろ評価されることにうんざりして、うつになる人も居るのかもしれない。
  • このようにして「要領」がうつ病の要因になる可能性だってあるかもしれないのだ。
    また前記の通り、現代の日本にも「要領」の必要性は恐らく依然として残っている。
  • 説明の対象としては、取り上げておかなければならないのである。