3)現代日本の「メシの食い方」

「ロビンソン・クルーソー」は無理

  • さて、これまでの説明を踏まえて考えてみよう。現代日本では、どの「メシの食い方」が可能なのだろうか。
  • まず最初の(ア)自給自足経済(個人)は無理である。絶対に不可能だとは言わないが、実現に必要な前提条件が多過ぎる。
    もし可能な案として検討するとしても、検討する優先順位は最下位、それも遥か最下位になるだろう。つまりは現実的ではない。
  • 自給自足経済(集団)は、他に同境遇の個人が居なければ協同できない。
    となると(ア)自給自足経済(個人)が無理なら、自動的に(イ)自給自足経済(集団)も無理である。

 

「わらしべ長者」も無理

  • となると(ウ)交換経済(物々交換)も無理だということになる。
    この(ウ)交換経済(物々交換)の実現のためには、交換の対象となる生産物が無ければならないからだ。
    つまり自家用消費を上回る余剰生産物が必要だ。そのためには自給自足以上の生産力水準が必要となる。
  • 全てを物々交換用物資の生産に充てる場合はどうか。
    この場合は、自家用消費分の物資は自給せず、交換によって得るわけである。
    だがこの場合でも、相当程度の生産力水準が必要となる。そもそも自家用消費分の物資を生産する側に、自給自足以上の生産力水準が必要となるからだ。
    従って(ア)や(イ)の自給自足が不可能なら、この(ウ)交換経済(物々交換)も不可能である。

 

余剰生産物を作れるか

  • 貨幣経済も同じことだ。交換されるほどの余剰生産物の存在しない社会では、そもそも貨幣は普及しない。
    それは資本主義社会以前の経済段階でも同じことである。つまり(エ)の「貨幣経済」も、相当程度の生産力水準を前提にしているのだ。