4)「共通解」はあり得るのか

集合知は形成できるのか 

  • さてこれまで様々な論点を示してきた。すごろく図(第2部)、人生の選択肢(第3部)、人生モデルと生計手段(第4部)などである。
  • それではこれらを利用して、体験者がそれぞれの経験を整理して持ち寄れないか。各自が回復までの経過を整理して、謂わば各自の「マイすごろく図」を作って持ち寄るわけである。
  • こうして持ち寄った結果を通覧すれば、何らかの共通解が見出せるかもしれない。それを一種の経験則として、集合知を形成できないかと言う発想である。

 

共通解は見つかるのか  

  • だが、それぞれが経験を持ち寄ったところで、共通解なんてない。
  • 何しろ内容は千差万別だからだ。おまけにすごろく図にせよ何にせよ、これまで述べて来た論点も、これで十分だということもない。これ以外の論点や視点もあり得る。だから持ち寄った経験も、既述した論点に収まりきれない内容も多々あるはずだ。
  • まあ、もし全ての事例が「すごろく図」に収まっているとすれば、「すごろく図の範囲内であることが共通解」だと言えなくもない。だが既に述べたように全ての事例が「すごろく図」に収まっているという保証もないのだ。
    だから強いて言うとすれば「共通解がないことが共通解」だということになる。この項目の末尾に、二コマのマンガで描いた通りだ。

 

事例集積の目的  

  • だが、たとえ内容に共通性が全くないとしても、量的な事例集積は可能だ。
    文集にまとめるのか、Webページに掲載するのか。相互に事例を提供したメンバーに限定するのか、合意の上で公開するのか。媒体も方法も様々に考えられることだろう。
  • さてその事例集積には、以下のような二つの意味がある。

 

共通性の認識  

  • 一つは共通性の認識である。
  • 既に述べたように、人生は十人十色で様々だ。だから多数決で可否が決まるものでもないし、他人と共通性があろうと無かろうと、価値に上下など無い。
  • だがこの事例集積の中には、自分と共通な事例があるのかもしれない。

 

孤立感の解消 

  • もちろん仔細に見れば、集積された事例はどれ一つとして同じものは無いはずである。何しろそれは、それぞれの個人の人生の反映だからだ。
  • 従って、どの事例に自分との共通性を発見するのか、つまりどの部分を差異と見做して、どの部分を共通だと認識するのかどうかは、ご本人次第だ。
  • だが何らかの意味で自分と共通な事例を発見した結果、「なあんだ、自分だけじゃなかったのか」と安堵する人もいるかもしれない。
  • それによって孤立感が解消され、ストレスが減るのなら歓迎すべきことだろう。事例集積の成果と言えるかもしれない。

多様性の認識 

  • もう一つは、多様性の認識である。
  • 事例集積の規模が拡大するにつれ、その内容は発散していく。つまり多様な事例が集積されてくる。差異の振幅も激しくなるわけだ。
  • この状態で集積された事例を一覧したらどうなるのか。前述のように共通性も発見できるのかもしれないが、それよりもあまりの多様性にびっくりすることだろう。
  • ありとあらゆる人が、あるとあらゆるきっかけでうつになっている。うつから回復した経過にも、ありとあらゆる違いがある。
    ということは、うつは「いつ」「だれが」「どんなきっかけで」なっても不思議ではないし、「いつ」「何をきっかけにして回復するのか」「どれくらいの期間が必要なのか」、それにも共通解は無い病気だということだ。

 

自責感からの解放 

  • こうなってくると、自分と共通の事例があるのかどうかなんて、問題ではなくなる。自分と共通の事例が全く無くたって、構わない。
  • 今まで「なんで自分はうつになんか、なってしまったんだろう」と悩んでいた人でも、こう思うかもしれない。
    「こりゃ驚いた。うつが誰でもなりうる病気だというのなら、『なんで自分がうつに』などと悩む方がおかしいのではないのか。そんなことに悩んでいても仕方がないことが分かりました」
    と。
  • そんな悩みが無くなった結果、やはりストレスが減ったというのなら、これまた事例集積の功徳だと言えるのではないのだろうか。

集積内容の整理

  • もちろん事例集積とはいっても、ただ単に提出された情報を堆積していくだけでは事例集にはならない。それぞれがそれぞれの視点から、それぞれの経験と考えた範囲を述べているからだ。そしてそれらの内容は千差万別である。
  • 事例集としての活用を可能にするためには、累積された情報に対して一定の整理を加えることが必要だ。
    その整理のポイントは、たとえばこうだ。「どこに視点を置いて」「どの方向に向かって」「何について」「どこまで述べているのか」等々。
  • これらの整理にあたって、これまで述べて来た内容を利用して戴ければ幸いである。

 

「整理」は「誘導」ではない 

  • なお、ここで念の為誤解のないようにお断りしておこう。
  • ここでは「事例集積のための経験交流は、本著の内容に沿って行うべし」などと言っている訳ではない。予め示された論点やテンプレートに沿って発言を求めるのでは、傾聴や共感の環境が失われてしまうからだ。それでは自己表出に対する自発的な意欲が損なわれてしまう。
  • 「幾ら聞いていても、他人にとっては全く違う考え方と経験の話しだ。だから内容に共感もしづらいし、傾聴も続けていられないだろう」などと考えて、話し手の内容を予め誘導する。そんなことは禁物だろう。
  • 情報を整理するのは、あくまで自己表出の後の、事後の時点でなければならないと思っている。この点念の為お断りしておく。