4)少数派民族を評価する

 

ワカスタン人を再検討する

  • だがちょっと待った。
    ワカスタン人は本当に「できそこない」の「はんぱもの」なのだろうか。
  • ワカスタン人の文化をよくよく再検討してみよう。

 

 積極的な意欲 

  • ワカスタン人にとっては「自分のやりたいこと、したいこと」が重要価値である。
  • だがムラスタン人にとっては、そんなことを考えるのは「わがまま」であり「身の程を知らない甘ったれ」だ。
    本当にそうなのだろうか。

  •  だが「自分のやりたいことがある」ということは、裏返せば、積極的な意欲を持っているということだ。
  • 決して無気力でも無感動でも、シラケているわけでもないのである。

 

開放的な態度

  • また「言いたいことはハッキリ言う。お互い言わなきゃ分からない」という考え方はどうか。
    これは「思いやり」や「察し」に欠けた非礼な態度なのだろうか。

  • だが「言いたいことはハッキリ言う。お互い言わなきゃ分からない」と考えているということは、逆にワカスタン人自身も、他人から「言いたいことを言われ」ても、驚きもしないし、感情を害しもしないということだ。
  • 寧ろ「お互い言わなきゃ分からないのだから、言いたかったら何でも言ってみてくれ」と、相手からの積極的な意見表明を奨励する開放的な態度であるとも言えよう。

 

  • つまりワカスタン人は、他人からの異論や異説に対しても平静に傾聴できるということだ。
  • これは非礼な態度どころか、寧ろ思考の「柔軟性」として評価すべき美質ではないだろうか。

 

「十人十色」という考え方

  • 次に「ものの考え方は人それぞれ。十人十色」という点はどうか。これは「場の和を乱す」「協調性のない」態度なのだろうか。
  • もちろん、言いつけられた仕事をきちんとこなしてさえいるのであれば、どんな価値観の持ち主であろうが、周囲と乖離した独自の行動を好もうが、他人からとやかく言われる筋合いのものでは本来は無い。

 

「スポンサーシップ」の付与

  • だがそれでもお気に召さないと仰るのであれば、例えばこうしてみては如何だろうか。
  • 何事も「好きこそものの上手なれ」だ。何かのプロジェクトで責任を持たせ、権限を与えて思い通りにやらせてみてはどうだろうか。
  • ワカスタン人たちは、好きでも納得しているわけでもない「ムラ社会」の価値観に対して同調と画一化を強いられている毎日なのだ。そんなワカスタン人たちにとっては、俄然熱意が籠るはずだ。そして成果もあがることだろう。

  • もちろんその間の周囲は、その後援に回るわけだ。
  • グループ内外で直接間接に沸き上る異議や反対に対しては「まあ、ここは黙ってアイツにやらせてみようじゃないか」と抑え込み、本人に対しては「わざわざ見込んで任せるのだから、正しいと思ったら自分の判断でどしどし実行して宜しい」と励ますわけだ。
  • 一種の所謂「スポンサーシップ」である。

 

多角的な視点

  • まあ、誰でも抜擢されて裁量権を与えられれば張り切るものだが、この場合、スポンサーシップをワカスタン人(たち)に対して与えるのがミソである。
    なぜか。
  • このような事例を、組織内に日常的に多数形成しておく。
  • つまりワカスタン人に対してそれぞれ独自の視点を維持することを許容し、かつその視点からの発言を寧ろ奨励しておく。
    そのような組織であれば、どうなるのか。

  • そのような組織であれば、もし将来何かコトが生じた場合、既往の発想の中に潜んでいた死角を指摘し、直ちにその盲点を発見できる。
  • ワカスタン人たちは、それぞれの独自の視点を分担して持ち寄ることになるわけだ。
    もちろん、従来には無かった斬新で独創的な発想も持ち込まれる。

 

チームワークの形成

  • その結果、非常に多面的な視角から検討ができることだろう。
    こうなると、組織の全体最適からすれば一種のチームワークが形成されていることになる。
  • 誰もが似たような意見しか持っていないグループよりも、それは遥かに合理的で現実的な結果になることだろう。

  • 従って
    「ものの考え方は人それぞれ。十人十色」
    という考え方は、寧ろ合理的で積極的な美点と言えるだろう。

 美点を活かすか殺すか

  • ちなみに、このような「スポンサーシップ」は、普段から実行されていなければならない。

  • いざコトが生じた場合、慌ててワカスタン人たちを集めても、急場の用には役立たない。
    「キミたちは、他人とは違う独自の価値観の持ち主なのだから、さあ今や意見を述べなさい」と命じたところでダメである。

  • 「まーた、またー。どうせ真面目に取り上げるつもりなんかないんでしょう?結局言いっ放しの聞きっ放しでは、お互い時間の無駄遣いになりますから、今更こんなこと、止めましょうよ」と逃げられてしまう。

  • そりゃそうだ。
    今まではスポンサーシップどころか、ワカスタン人たちに対しては「できそこない」の「はんぱもの」扱いをしてきて、その言い分には全く取り合ってこなかったのだから。
  • ワカスタン人たちの資質を組織にとっての美点として活かすのも、殺すのも、ムラスタン人側の心掛け次第なのである。

 

少数派の視点

  • では、ワカスタン人が少数派であるという点についてはどうか。
  • これは文化ではなく人口比の問題なのだが、これも或る意味では美質になり得る。なぜか。

  • ワカスタン人はムラスタン人とは異なる文化を持っている。
  • これはムラスタン人には無い視点や価値観なのだから、ムラスタン人にとっては或る意味で独創的で革新的なアイディアの源になり得るのだ。

  • もちろんそれを活かすも殺すもムラスタン人次第だ。
  • だが、もし日本社会の人口的多数派であるムラスタン人がそれを活かすことが出来たら、社会全体に創造性を齎す原動力となることだろう。

 

言語は共通

  • 最後に言語の共通性についてである。
  • これはムラスタン人とワカスタン人の唯一の共通点だ。
  • つまり双方とも、共通に日本語を使用している。だから言語的な障壁は存在しない。

 

障壁解消への留意点

  • 障壁となるのは、他文化の存在を否認するムラスタン人側の意識の問題だけなのだ。
  • 従って、ムラスタン人側の社会が一定の留意さえすれば、この障壁を解消できる。
    そして社会全体の利点として多文化共存を活かすことができるだろう。

  • それでは、その留意点とは具体的にはどのようなものか。それを以降に説明していこう。