2)うつの「名医」は人それぞれ

(うつは千差万別、ひとそれぞれ)

  • それではうつ病に関して入手できた情報を読んでみるとどうなるか。下図は著者が見聞した情報をもとに、総合して書いてみたものだ。
  •  驚くことに、発症の契機も治療法も回復までに要した期間も、みな千差万別である。

うつの始まり

  • まず発症に至った契機からして、ばらばらである。
  • 例えば「同期の中で真っ先に昇進したのですが、抜擢された役職の責任が重荷になって、うつになりました」という人もいる。抜擢された重要な役職は、初めての管理職体験でもいいし、功成っての役員への栄達でもいいのだが、これが所謂「昇進うつ」というものだ。
  • かと思えば「全然評価してもらえず、自分には価値がないのかと思ってうつになりました」という人もいるかもしれない。
  • 一方では「可愛がっていたペットに死なれて、うつになりました」という所謂「ペットロス」の人もいると聞く。
  •  だが、その病因の正否・適否・妥当性を、第三者が「値踏み」や「査定」をしてみても、無意味である。
  •  なぜなら、これら病因に関する唯一かつ妥当な理由は、「本人にとって、(その時点では)それが最も重要なことだった」ということでしかないからだ。

  • 例えば「昇進うつ」になった人の場合は、実は内心では昇進よりも重要だと考えていた価値があったのだろう。そしてそれが、昇進によって何らかの理由で挫折をしたのだろう。
  • また職場の評価を気に病んでうつになった人の場合は、どうか。
    企業では、社員は給与の対価として時間と労力を提供し、その結果に対して人事考課がなされる。それはあくまでも職場生活、つまりその人の人生における時間の一部分に対してのみ下される評価だ。
  • だがその人は、それを自分の人生の何らかの存在意義に結び付けて考える状況にあった訳だ。従って本人の内心のどこかに、そう考えていた動機が何か潜んでいるはずである。
  • またペットロスの人はどうか。
    その人は、単に愛玩動物を飼うという以上の価値や意味を、ペットに於いて見出していたわけである。
  • だが犬猫小鳥など、大抵の愛玩動物は人間よりも短命だ。つまり飼い主よりもペットが必ず先に死ぬ。だからペットを飼う以上、その動物の死を看取るということは、必ず飼い主の直面する場面である。
  • だからと言ってペットの飼い主の全員がペットロスになるわけではない。ペットに何らかの特別の意味や価値を見出していた人が、ペットロスになるのだ。

 

価値観の挫折や価値の喪失 

  • つまり本人が内心で抱いていた、何らかの価値観や価値の挫折若しくは喪失によって、うつ病は発症するのである。
  • そしてその価値観や価値は、人によって千差万別である。どのような価値観や価値を持っていたからと言って、それは本人次第であり、善いとも悪いともいえない。他人にとやかく言われるべき筋合いのものではない。
  • だからうつ病の病因に対して、他人が「普通」だの「俺は」だの「他の人は」などという「査定」基準を持ち出して「値踏み」してみても、意味が無いのである。

治療法も各種万別 

  • さて上述の通り病因も千差万別なら、提唱されている治療法も千差万別である。たとえば投薬療法あり、認知行動療法あり、はたまた東洋医学による鍼灸治療を唱える人もいる。
  • ところが目下の現状では、これら千差万別の治療法の取捨選択は、患者側の自己選択になっている。
  • このため、患者にとっては、どうやったら自分に最適な治療法を選択できるのか、試行錯誤で取捨選択するしかない。このことが、治療法選びに関しても無数の情報を生じる背景となっている。

 

期間も長短さまざま 

  • また、最終的に回復に至った経過期間も千差万別である。
  • 闘病手記を読んでみても、回復までにどのくらいの期間を要したのか、確かに著者それぞれの体験期間は書いてある。だがそれらを読み手が比較してみても、経過期間に長短の差が出る要因が分からない。
  • したがって幾ら情報収集に努めてみても、読み手は自分の経過期間、つまり自分のうつが一体いつになったら回復するのか、その回復時期が予想できないのである。

  • だからと言って、ここでは個々の闘病手記の著者などや各種情報の書き手や、或いはそれらの内容に問題があるなどと言っている訳では一切ない。
  • 誤解の無いよう念の為ここで予めお断りしておく。

 

「名医」はひとそれぞれ 

  • 前記の通り、うつの経過は千差万別だ。体験者が千人居れば、千通りの経過があることだろう。また上記の通り、その治療法も千差万別だ。
  • 従って、「これで治りました」と体験者がいう治療法も、千人居れば千通りあることだろう。平たく言えば、その人が治った時にちょうど行っていた治療法が、「これで治りました」という治療法になるのだ。
  • 別にそれが問題だと言っている訳ではない。その人にとっては、結果的にそれが最善の経過であり、最善の治療法だったのだから。

  • ということは、その治療法を担当していた医師が、その人にとっては「名医」だということになる。それは別段おかしなことでも問題でもなんでもない。
  • その人にとってはその医師が最善の先生であり、自分にとっての「名医」だったということなのだ。何しろその先生に診て貰った結果として、自分のうつが治ったのだから。
  • つまり、うつの体験者が千人居れば、千人の「名医」がいることになる。平たく言えば、これがうつの現状なのだ。

  • このように、うつは経過も期間も千差万別であり、治療法も様々なら、自分がいつ回復するのか、その時期の事前予測などもできない。
  • これには相応の理由がある。それは本書の以降の内容にて、順次段階的に説明していく。