10)「見た目は元気そうじゃないか」は「禁句」です

(他人にとっても「まさか」ではじまる「うつすごろく」)

  • これまでは、うつと闘病する本人の視点から書いてきた。
  • では、本人以外の周囲からは、うつ病患者の闘病生活はどのように見えているのだろうか。
  •  * 自宅療養のために休職すれば、当然職場には出勤はしない。だから、これまで毎朝毎日顔を会わせていた上司同僚など、職場のメンバーとは接触がなくなる。

  • ちなみに、休職中の本人と会社がどのように、またどの程度まで接触を保つのかは、企業によって例えば下記例A)B)C)のように異なる。
  • もちろんこれはあくまで例なので、他の対応もあり得る。詳細は各自で勤務先にご確認して戴きたい。

A) 毎月上司が面談する。
B) 毎月産業医が面談する。
C) フラッシュバック防止の為、職場からのコンタクトは一切禁止する。

  電話もメールも面談も不可。定期的に給与明細と社内報を郵送するだけ。
…etc.

 

  • いずれにしろ職場のメンバーにとっては、自宅療養中の本人が、どのように闘病生活を送っているのかは、全くわからなくなる。
  • 上記例A)にしたところで、本人から話として聞くだけで、本人の療養生活を実見するわけではない。毎日顔を会わせながら一緒に職場生活を送っていた時期とは、全く異なるのだ。

  • 加えて前記例のB)やC)、とくにC)のような場合では、療養中の本人の様子は職場のメンバーにとっては全く分からなくなる。
  • C)の場合では、休職期間延長申請のための診断書が、本人から職場に定期的に郵送されてくるだけである。途中経過は全く分からない。

  • このような時期を経て、いよいよ復職となるとどうなるか。
  • 前記例A)なら或る程度予期できるかもしれない。だがB)やC)の場合、職場のメンバーにとってはどうなるのか。
  • ある日突然、産業医なり労務厚生担当の人事部門から

「この度、誰々君が自宅療養を終了しました。これから復職しますので、よろしく」

と連絡が入るわけだ。

 

  • ちなみにうつ病の場合、復職後の本人に対しては、業務負荷軽減など周囲から一定のケアが必要とされている。
  • だが既に書いた通り、それでも本当に寛解したのかどうかは、一定の観察期間を経過しないとわからない。

  • そこで復職後に、もし万一再発したらどうなるのか。
  • 周囲の職場メンバーは、内心釈然としない思いを禁じ得ないだろう。たとえ口にはしないにせよ、

「うつ病が治ったから復職したのではないのか。休職期間中、自宅療養生活でいったい何をしていたのだろうか。

完全に治ってから、つまり再発の可能性が皆無になってから復職する、という訳にはいかないのだろうか」

と、内心では相当に隔靴掻痒の思いのことだろう。

  •  だが本人にしてみればこうだ。自宅療養期間中は、すごろくをひたすらぐるぐる廻っていたわけである。これまで説明してきた通りだ。
  • そこでようやく復職できたと思ったところで再発したのでは、すごろく廻りをまた振出しからやり直しである。

  • だから「また休職か」とうんざりしているのは先ず本人の方なのだが、しかし周囲も同様にうんざりしていることだろう。これは本人にとっても周囲にとっても、お互いまことに不幸な構図である。
     
  • 療養中に本人はいったい何をやっているのか、どのような状況にあるのか。
  • これまでお書きした内容が、周囲の職場メンバーにとって、本人の途中経過を少しでも察するヒントになれば幸いである。

【補足】「見かけは元気そうじゃないか」は「禁句」です


  • 予めお断りしておくと、以下は著者個人の体験を述べたものだ。従って他の方も同じだとは必ずしも言えない。
  • だが読者の中、とくに体験者の方にはお心当たりはないだろうか。
  •  さて、うつでやむなく会社を休職し自宅療養ということになれば、ひたすら自宅でぐったりしているだけである。その有様は既にちょっと書いた通りだ。
     
  • だが通院や薬局など、よんどころのない用事で外出しなければならないこともある。その場合は僅かに残っている気力を振り絞って、這うようにして辿り着くわけだ。
  • 或いは、偶々調子の良い時があれば、何かの用事の為に外出できることもあるかもしれない。 
  • 既に書いた通り、うつは「こころの病気」だ。心の中は他人に透けて見えるわけではない。
    鼻水と涙を垂らしている訳でも、くしゃみやせきを続けている訳でもない。外見から傷口が見えるわけでもないし、包帯も松葉杖もギプスもしているわけではない。
     
  • だから見た目には、何も普段とそう変わらない。
    少々顔色が悪くて反応が鈍いだけだ。そこで会った相手に対して、時にはやつれた表情に疲れたほほえみを浮かべることもあるかもしれない。
     
  • そこで出会った相手にこう言われるわけだ。

「なんだ、見かけは普段とそう変わらないんだね。思ったよりも元気そうじゃないか」

と。

  • 心配してくれているのは分かるのだが、しかしこのような発言は、ちと問題だと思う。なぜか。
     
  • 本人としては、ようやく外出を終えて帰宅したら、それだけでへとへとに消耗してしまっている。その結果、その後の数日間か一週間くらいは、また寝込んでしまっているのかもしれないのだ。
  • だが寝込んでしまったら、その間は外出できない。つまり他人の前に姿を現すことはできない。

  • 従ってその寝込んでいる姿は、他人は知らない。同居している家族でもなければその姿を目撃することは無いからだ。

  • となると、他人が知っている本人の姿はどうなるのか。「思ったよりも元気そうだった」という印象だけが残るということになる。
  • それだけで済めば問題は無いのだが、その印象を独り歩きさせて貰っては問題になるのだ。

 

  • 他人に

「あの人は、見かけは全然普段と変わらず『元気そう』なのに、いったいどこが悪いんでしょうかねえ」

 

などと、よそで嘆息などされたひには、本人としては全く立つ瀬がなくなってしまう。

  • 「どこが悪いのか」なんて決まっている。頭の中である。もっと言えば心の中だ。
  • だが、そんなものが他人の目に映って見えるわけがない。頭蓋骨の中身が透けて見えるわけではないんだし、たとえレントゲンなど撮ったところで、心の中の動きが画面に映るわけでもない。
  • 当たり前だ。況や他人が見かけで見ても、分かる訳がない。

  • 従ってこの場合の正しい言い方は「思ったよりも元気そうじゃないか」なんかではない。
    強いて言うのならこうだ。

「心の中で何が起きているのかは、外見からは何も分からないんだね。

だからうつの場合も、どの程度の病状なのか、何が原因なのか、見かけからは全く分からないんだよね」

 

である。 

  • もちろん言い方だけに限ったことではなく、実際にそのように理解と認識をしていただくことが望ましいと思う。
  • 「うつは見かけじゃ分からない」「見かけで判断するのは禁物」という点について、もっと認識とご理解の徹底をお願いしたいところである。 
  • これは、本人以外の関係者や周囲の方には、是非念頭に入れておいて戴きたいことだと思う。

【この補足の項、終わり】