10)扶養義務との両立

  • さて前に述べた「他律的支出」の中でも「扶養義務」には固有の問題点がある。どういうことか。

 

緊急事態発生

  • もし仮にご自身がうつで休職するとなったらどうなるのか。
    もちろん、いきなり無収入になるとは限らない。減額になっても給与の支給が継続する場合もあるだろうし、健康保険から傷病手当金が支給される場合もあることだろう。
  • だがその支給も無期限に継続するわけではないし、勤務を継続していた時期よりは金額は減ることだろう。
    となると、その差分に対して何らかの手当てを必要とする。どうなるのか。

ピンチヒッター登坂

  • もしご家族が専業主婦(夫)であって、家計を負担しているのがご自身お一人の場合はどうなるのか。急遽ピンチヒッターとして、ご家族に働いて貰わなくてはならない。稼ぎ手役を交代するわけだ。
  • 共稼ぎの場合はどうか。全面的な稼ぎ手役交代とは、ならないかもしれない。だが、共稼ぎであることを前提とした生活設計があったはずである。それを片肺飛行でも賄えるように変更しなければならない。

 

生活設計の変更

  • いずれにせよ生活設計を変更しなければならない。
    だが稼ぎ手役の変更によって、それまでと同水準の収入が確保できるとは限らない。となると生活水準の方を変更しなければならない。既述の「他律的支出」の水準を、下方へ相当圧縮せざるを得ない訳だ。
    だがそのためにはご自身の決断だけではなく、ご家族の同意と決断も必要になる。
  • いやそもそも、ご家族がご自身に代わって働きに出られるのかどうかが、先ず問題である。個々のご家庭によって、事情は様々だ。
    だから、ご家族が働きに出たくても出られないご事情がある場合もある。一方、ご自身はうつで会社を休んでいるくらいだ。その事情を解決するにしても、ご家族の力を相当借りないとできないことだろう。
  • よしんば、もしもご家族が働きに出られることができたとしよう。
    それでもそうするのかどうかには、そもそもご家族の同意と決断が必要になる。

 

 

前言撤回そして家族の決断

  • つまり一口に「他律的支出」とは言っても、扶養義務の場合は性格が異なるのだ。それは、租税公課や社会保障費のように、法律や税制によって予め決まっているという問題では無いのだ。
  • 現在の生活設計は、扶養義務も含めてかつてのご自身の決断によるものだからだ。つまり過去の或る時点で、その時点での収入と見通しに基づいて「これなら、いける」とご自身が判断した上で、ご家族と申し合わせた結果なのだ。
    従ってその変更には、内容と程度がどうあれ何らかの前言撤回を必要とする。

 

自分以外に及ぼす影響の認識

  • うつの結果としては、稼ぎ手役の交替や変更そして生活設計の変更が必要となる場合があり得る。
    その場合にはご自身の前言撤回とその決断が、条件として必要だ。
    そしてご家族の同意と決断も、条件として必要となる。ご自身だけの判断では解決しない問題なのだ。
  • つまりご自身の状況が、ご家族つまり他人の生活にも影響を及ぼす。
    この影響の認識が「それじゃメシが食えないよ」という言葉の第四の意味である。

 

気力は残っているか

  • だが既に書いたように、うつは気力を破壊する病気だ。
    だから生活設計の変更が必要だからと言って、それを家族に対して言い出す気力が残っているとは限らない。
  • またたとえ気力が残っている場合でも、自分の事情で他人の生活に変更を余儀なくすることに、内心忸怩たる思いを禁じ得ないことだろう。
    「病気を口実にして、自分勝手な我儘を言っていることにはならないのか」
    と躊躇する方もいらっしゃるかもしれない。
  • 従ってもし仮に、このような生活変更なしに済めば、どうか。上記のような決断も何も不要になることだろう。

 

自責感と焦燥感

  • だから中には「家族に迷惑はかけられない」というお考えから、頑張りぬいた方もいらっしゃることだろう。ご自身の代わりにご家族に働いて貰うことが無いよう、生活水準を落とすことの無いように、と。休職もせず、或いは何とか早期に復職して。
  • そのためには大変なご努力があったものとお察しする。もちろんここではそれがいけないなどと言っている訳ではない。それが出来た方にとっては、それが最善の途だったのだ。結果的にはうつから最終的に脱け出すことができたのだから。
  • だが万人にとっても、それが出来るとは限らない。
    そうなったらどうなるのか。うつと、現在の生活設計との板挟みになって苦しむことになる。
    「家族に迷惑をかけてしまって申し訳ない。一刻も早く復職しなければ」
    と。だがその自責感と焦燥感が問題なのだ。

 

重圧からの解放

  • 既に書いた通り、その自責感と焦燥感がうつを無用に長期化させる。すごろくを隅から隅まで廻る羽目になったり、或いは再発を繰り返したりして。「それじゃメシが食えないよ」という言葉も、そのような自責感と焦燥感がなせる業なのだろう。
  • 従ってうつから脱け出す為には、このような自責感と焦燥感から本人が解放される環境が必要だ。
    しかし扶養義務を抱えたままで、それをどのように実現するのか。
    それは他人からはどうこう言えない。個々のご家庭によって、事情は様々だからだ。
  • 前記では稼ぎ手役の交替とか生活設計の変更とかいろいろ書いたものの、だからと言ってここでは皆さんの対応を特定している訳でもないし、限定している訳でもない。こうすべきだと提案している訳でもない。
    どのように対応するのか、そもそも対応が可能なのか、可能だとしてもどう対応するのか。それらは個々の家庭と個人の事情次第だ。他人からどうこうせよと言える問題では無い。

 

人生のリスク

  • だがちょっと考えてみよう。
    一生涯に何の事故も怪我もなくトラブルもなく、従って健康も仕事も収入も地位も盤石安泰のまま。何のリスクもない。
    そんな人生なんてあるのだろうか。
  • 人生山あり谷あり。仕事だっていつも順風満帆の時とは限らないし、怪我もあれば病気もあるし事故に遭う場合もあり得る。
    リスクの無い人生なんてない。そのリスクは現実化する場合もあれば、潜在したまま遭遇せずに終わる場合もある。
  • 従って、うつになってしまったということはどういうことなのか。たまたま人生の中のリスクが、うつという形で顕在化してしまっただけなのではないのだろうか。
    それは人生の他のリスク、即ち怪我やうつ以外の病気や事故と何ら変わりはない。

 

危機からの脱出

  • いつになったらうつから脱け出せるのか。
    それは予測できない。だからと言って、うつが全く治らないわけではない。
  • となると本人としてはどうしたらよいのか。

「いつのことかは分からないが、このうつはきっと治る。そうしたらもう一度やりなおせばいいことだ」

と思って、積極的に未来を信じていることしかない。

  • 繰り返しになるが、うつは気力を破壊する病気だ。
    ということは逆に言えば、うつから脱け出すということは、気力が蘇ってくるということだ。人生をやり直すのも難題に立ち向かうのも、この気力が無ければ始まらない。
  • うつから回復するということは、人生の原動力が回復するということなのだ。
    だがそのためには自責感と焦燥感から解放されている環境が必要なのだ。うつの渦中にあって最も必要なのは、この認識なのではないのだろうか。
  • 現実的にそのような環境が可能なのかどうか、また具体的にどうなさるのかどうかはお任せする。
    だが何事も認識しないと始まらない。著者から申し上げたいのは、この認識である。