20)【解③】「採算度外視です」

「採算度外視」とは

  • 前項で書いた「もう一つの前提条件」とは「採算を度外視でやる」ということだ。どういうことか。
  • これは、「好きなこと」として新たに手掛ける仕事を「採算割れ」でやれとか、それによって得る収入は「生計手段としての最小限度未満」にしなければならないとかという意味ではない。
  • 仕事は赤字なら引き受けなくてもいいし、いや寧ろ黒字を出さなければならない。収入も「生計手段としての最小限度」に留める必要もない。「最小限度」以上の収入を得ても全く構わない。貯金もしてよいし保険もかけてよい。生活に或る程度のゆとりを出したってよいのだ。
    だが、それでも「採算を度外視でやる」ことになるのだ。なぜか。

 

「量的差異」とは

  • 皆さんはそれまでサラリーマンとしてそれなりの収入を得ていたわけだ。
    それが今度は全く新しく「好きなこと」をやろうと転身を図る。最初からサラリーマン時代と同程度の収入を得られることは少ないだろう。
  • となると収入は、転身によっていったん低下を余儀なくされる。この低下した差分と引き換えに「好きなこと」をやる途を選択した訳である。ゼニカネの勘定をしたら、はっきり言って損である。つまりは「採算を度外視で」やっていることになる。

 

取捨選択したもの

  • だが「採算を度外視」という表現の本当の意味は、実はこのような「量的差異」の問題では無い。どういうことか。
  • * 全く新たな分野に向かって転身を図る際に捨てるのは、収入だけではない。当然それまでの職歴や技能や知識や経験も、捨ててくることになる。「捨てる」とは、一見穏当ではない表現のようだが仕方がない。あることを選ぶということは、それ以外のことは捨てるということに外ならないからだ。「取捨選択」という漢字のそのままだ。

 

「人間関係」の財産

  • だがここで捨ててくるものにはもっと重要なものがある。それは人間関係である。
  • これまでサラリーマンとして一定の職能を発揮できたのは、何も自分一人の力ではない。上司や同僚や部下や後輩や社内の関係者、それに場合によっては取引先の関係者などが、何くれとなくひきたててくれたり協力してくれたりしたおかげである。
    だが転身によってこれらを失うことになる。
  • まあ、いきなり音信不通の義絶状態になることはないだろうが、それでもそれまでの人間関係とは違う振る舞いになることには違いない。
    一方当然ながら転身先では、収入を得るために新たに注文主なりお客さんなりを見つけなければならない。
    つまりは自分にとっての人間関係の顔ぶれが、大幅に入れ替わる。新たな面々との人間関係を構築しなおさなければならない。
  • これが「人間関係を捨ててくる」と言った意味であり、そしてそれがもっとも重要なことなのだ。
    何しろ今までの人間関係は、それまでのサラリーマン生活を通じて得られたものだったのだ。それなりの時間と労力と努力の結果である。そうそう簡単には得難いものだ。

 

「質的差異」とは

  • それをわざわざ捨ててまで転身するのと、そのまま維持してサラリーマン生活をするのとどっちが得か。
    そのままの方が得に決まっている。それなりの蓄積もあるし、従って一定の範囲であてにもできる。収入水準も含めて、先の見通しもそれなりに立てられる。確実性が高い訳だ。
  • 従って、金銭という量的指標で量らなくても、謂わば「人生の損得勘定」で考えればどうなるのか。
    せっかくの人間関係を「捨てる」のは、明らかに損である。「捨てない」方が得に決まっている。
  • これが「好きなこと」への転身を「採算度外視でやる」と言った意味である。こちらの方は、謂わば「質的差異」だと言えよう。

 

100%の賭け

  • まあ、これまで述べたことを平たく言うのなら「リスクを取る」ということに外ならない。
    これが企業や組織なら、リスクに対する量的操作が可能だ。複数の選択肢を同時に実行して、失敗時の悪影響を相対的に緩和することができる。
    だが個人にはそんなことは不可能だ。「リスク分散」も「ポートフォリオ戦略」も何もあったものではない。
  • 誰でも人生は一つだけである。ささやかな人生と雖も、それを賭けてしまうのだ。賭ける人生も一つなら、あてにする人生も一つきりである。一割る一の結果は一、つまり百パーセントだ。危険率100%の賭けである。
    だから「好きなこと」への転身は、誰でも乾坤一擲の大勝負になる。

 

 

「充実感」と「笑顔」

  • だがそんなリスクを押し切ってまで転身を図った場合、どうなるのか。
    たとえ百パーセントのリスクがあったとしても、自律性を最優先に選んだことになる。それは、一切の他律性を自分の人生から捨ててくるための取捨選択なのだ。
    つまり「人生の損得勘定」で考えれば「採算を度外視」してまで、自分の人生の「自律性」を選んだのだ。


  • この結果、自分の人生は一切の「他律性」から解放されることになる。また自分の「好きなことをやっている」日常からは、完全な「自律性」を謳歌しているという「充実感」が生まれる。
    この「解放感」と「充実感」による「笑顔」。それは何とも言えない心からの晴れやかな笑顔になるだろう。
  • 実はこの「笑顔」が重要なのだ。
    この「笑顔」は、誰でも得られるものではない。それは「採算を度外視して」「好きなことだけやっている」人だけが得られるものなのだ。

 

別な「充実感」

  • ここで誤解の無いようにお断りしておくが、企業として手掛けるのは「営利目的の打算が動機だからホンモノではない」とか「組織ではなくあくまで個人一人の力で取り組むべきだ」とか言っている訳ではない。
  • 従って既に述べたように、同じ仕事は他の企業なり組織なりでも手がけることはもちろん可能だ。中には自分の「好きなこと」をやる場として、その中で仕事をすることにした人もいることだろう。企業の資金力や、組織の集団力を以ってすれば、個人では不可能な規模や内容のことができるからだ。
    その場合は、別な「充実感」が生まれる。それはそれでまた別な「笑顔」を生むことだろう。

「笑顔」の違いは

  • だが既に述べたように企業の場合はその活動は営利目的という掣肘を受ける。また他の組織、例えば何らかの非営利的組織の場合は、営利目的という掣肘はない。
    だがやはり組織であることによる制約はあり得る。予算の都合や組織方針の機関決定などだ。
  • つまりこれらの場合は「他律性」は完全には排除できない。
    だからそこでの笑顔は、「採算を度外視」の笑顔と全く同じものとはならないことだろう。

 

「他律性」からの解放

  • だが「採算を度外視」の場合はどうか。
  • 人生の「採算を度外視して」決断に踏み切った来歴そのものが、既に他人から「驚嘆」なり感銘なりを生んでいる。
  • そこにお客としてやってきた人は、注文を出してお金を払う。
    だがそれによって更にあなたの「ありがとうございます」という「笑顔」を見ることになる。もちろんあなたのその笑顔は、他所では見られないものだ。既に述べたように、それは「採算を度外視して」「好きなことだけやっている」人からしか見られない「笑顔」なのだ。

 

「笑顔」が繋げるもの

  • 既に述べたように、他人の笑顔を見ることが嫌な人はいない。自分のした行為によって、誰かが笑顔になることは誰でも好きなはずだ。
  • こうしてお客の方も、得難い経験をして帰ることになる。他所では見られない笑顔に接することができたのだ。
    つまりお客はその体験に対してお金を払ったことになる。謂うなれば、それが「付加価値」なのだ。
  • こうして「採算を度外視して」「好きなことだけやっている」人に対して、お金を払う人が現れる。謂わば、ファンとか固定客とか贔屓筋とか言うべき人たちだろう。
    このような人たちとの繋がりは、あなたの周囲に独自に築かれていく固有のものだ。決して他の方法では手に入らない。この繋がりこそが差別化点になるのだ。
  • もちろん「ファン」とか「贔屓筋」が要るからといって、必ずしもメディアやネットなどに登場する必要性はない。そこでの寵児になる必要もない。世間の耳目からしたら、全く無名のままであっても十分なのだ。
    あなたと繋がっている人たちの人数は、それほど大規模でなくてもよい。あなたが仕事として手掛けている「好きなこと」。その採算が成り立つだけの人数で足りる。それで十分なのである。

 

「笑顔」はぶつからない

  • もちろん誰か他の人も全く同じように「好きなこと」に対して「採算度外視」で取り組めば、同じような笑顔を得ることができる。
    だがもちろん、それはそれで別なファンが付く。別にファンの奪い合い競争をしている訳ではないからだ。
  • 或いは「誰かの笑顔を見る」ことは二者択一ではない。Aさんの笑顔のファンになった人が同時にBさんの笑顔のファンにもなって構わない。他人の笑顔を見ることが快い経験ならば、それを重ねたところで問題は無い。
  • だから「好きなこと」に対して「採算度外視」で取り組んでいる人は、たとえ同じことを手掛けている他の個人がいても問題ない。「棲み分け」なり「共存」若しくは「併存」は可能なのだ。

 

 

「メシが食える」わけ

  • 従って、誰か他人があなたと同じ仕事を手掛けていても問題ない。況や他の企業なり組織なりが同じ仕事を手掛けていても、問題ない。あなたの持っている笑顔と繋がりによって、あなた自身の付加価値と差別化が可能だ。そして自分独自の「働き場所」が確保できる。
    謂うなれば「ニッチ(隙間市場)」だ。こうして「市場化原理」の支配下にある経済の中でも、堂々と共存が可能になる。
  • このようにして、「市場化原理外」での価値の創造とその維持が可能になる。つまりは「メシが食える」ようになる訳だ。