1)「ムラスタン人」と「ワカスタン人」

  • 実は、日本人の中には二つの民族が存在している。

 

「ムラスタン人」と「ワカスタン人」

  • 一つは、所謂「ムラ社会」を作ってその中に住んでいる人たちである。
    だから、ここではこの人たちのことは、仮に「ムラスタン人」と呼ぼう。

  • もう一つの民族は、「人は皆それぞれ。お互い違っていて当然」という考えの人たちである。
    この人たちは、特に若い世代の中に多いのではないかと著者は考えている。
  • 「若(わか)い人たち」に多いということなのであれば、それではこの人たちのことは、ここでは仮に「ワカスタン人」と名付けることにしよう。
  • 「ワカスタン」の「ワカ」は「若い(わかい)」の「わか」である。

(ちなみに「~スタン」とは、ご承知の通り西南アジアや中央アジアなどで「何々の土地」「何々の国」という意味を表す、ペルシャ語起源の接尾辞である。
「パキスタン」や「アフガニスタン」という国名は、どなたもお聞きになったことがあることだろう。
「パキスタン」は「清浄なる国」という意味であり、「アフガニスタン」つまり「アフガンの国」というのは、「パシュトゥーン人」即ち別名「アフガン人」によって建国された歴史に由来している国名である)。

 

「ムラ社会」の「掟」

  • さて前記の図で示したように、ムラスタン人の遵奉する価値とは

「場の『和』」「面子」「立場」「序列」「顔(かお)」「身の程(分=ぶ)をわきまえること」

 

などである。

  • そしてこれらの価値を守る為、

「思いやり」「察し」「気配り」「気遣い」「場の『空気』を読む」

などの行動が求められる。

  • これらはみな「内向きの」「身内の論理」である。
  • このような「ムラ社会」の価値と習慣を一括して、ここでは「掟」とよぶことにしよう。
    もちろんその「掟」とは「ムラ社会」の「掟」である。

 

同質性の観念

  • また、ムラスタン人は

「みんな一緒」「誰もが同じ」「『同じこと』が『良いこと』」

という意識の持ち主である。

  • つまり皆「同質で同一文化の持ち主だ」という意識であり、しかもそれが「本来の自然な状態であり、従って良いことなのだ」という観念の持ち主なのだ。
  • これをここでは「同質性」の観念と呼ぼう。因みにこの観念は全員に適用され、例外は許されない。

  • もちろん前記の通り、人間は「人は様々、十人十色」なのだ。人間の本質は多様性なのだ。
  • だからこの「同質性」の観念は、この本質に反した謂わば現実遊離の観念だと言えよう。
    なぜそのような観念が登場したのかは、後程説明する。

 

同調圧力

  • 上記のような「同質性」の観念を根拠に、ムラスタン人は全員が「掟」を守るよう強制する。
    これを「同調圧力」と呼ぼう。
  • 因みに、このような「同調圧力」の対象は全員である。
    つまり全員が監視対象であり、同時に監視役でもある。個人の判断で離脱することは許されない。

 

 

ムラスタン人と「ムラ社会」

  • このような「同質性」の観念を信じ、その「掟」を守るのがムラスタン人である。
    そしてこのムラスタン人が理想社会とし、「同調圧力」によって維持し実現を図っているのが「ムラ社会」なのである。
  • 因みにこのムラ社会の対象は「全員」であり、個人の判断で離脱することは許されない。
    だが、それでは一体誰がその「全員」の対象になると言うのだろうか。

 

誰がムラスタン人か

  • その定義は「『ムラ社会』が対象とした個人は、全員『ムラ社会』の対象となる」である。
    このような同語反復的な図式しか「ムラ社会」は持たない。個人の判断で離脱することを許さないためである。
  • この「ムラ社会」では、ワカスタン人も対象とされる。ムラスタン人の「同質性」の観念からすれば、ムラスタン人以外の存在は認められないからだ。
  • ムラスタン人にとっては、そもそもワカスタン人などという集団は存在すらしていない。
    この問題については順次説明する。

 

全員とは多様性

  • さて既に述べたように、実は「人はそれぞれ。十人十色(といろ)」であり且つ「三つ子の魂百まで」である。
    つまり、もって生まれた性質は変わらないし変えられない。

  • 従って、社会の中で必ず一定数は「ムラ社会が美徳」と考える人が生まれる。
  • 一方で、また別の一定数は「人はそれぞれ。お互い違っていて当然」という考え方の持ち主が生まれる。

  • だから社会全体が全員「ワカスタン人」になることもあり得ない一方、全員が「ムラスタン人」に生まれつくこともあり得ない。

 

日本における「多元社会」

  • 実は日本は、これら二つの異なる民族の混在社会である。
    つまり文化も複数ある「多元社会」「多文化社会」である。
  • ただ言語だけは、偶々共通に日本語を使用しているのだ。この点だけがちょっと独特だ。

  • だが言語以外の点では、この二つの「民族」は価値観も習慣も意識も、上記の通り全く違う。
    言語以外は全て、お互い悉く対照的に異なっている文化の「民族」どうしなのだ。

  • おまけに人口の大小差もある。
  • いうまでもなくムラスタン人が(圧倒的)多数派であり、ワカスタン人は少数派である。
    この人口差がどのような現実をもたらしているのかは、順次述べる。