11)うつの「予防」はできるのか

(まとめ:うつは誰でもなる病気か?)

答えはイエス

  • 先に答えを言えば、それは「イエス」だ。
  • だがそれは「うつは心の風邪」だからではない。「生まれてからこの方、風邪ひとつひいたことはありません」という健康自慢の方を除いて、「からだの病気」である風邪には、どなたでもかかった経験がおありだろう。

  • だが「こころの病気」であるうつ病の場合は、意味が全く異なる。
  • 既にここでは、うつ病の原因は「本人が内心で抱いていた、何らかの価値観や価値の挫折若しくは喪失によって、うつ病は発症する」と書いた。
  • だがその価値観や価値とはなんだったのか。それは事後的に、謂わば後知恵で分かるだけである。

 

(ア) 事前の予測は可能なのか

  • うつにかかるまでは、みな「まさか自分が」と思っている。
    もしも「本人が内心で抱いている何らかの価値観や価値」を、全て意識的に自覚できているのなら、そもそもうつ病にはならない。
  • もしそれらの価値観や価値が周囲の環境と矛盾を生じたら、あり得る挫折や喪失の回避のため、自ら能動的に解決行動をしているはずだからだ。

  • 「内心で抱いている何らかの価値観や価値」などは、人によって千差万別だ。またそれを全て意識的に自覚できている個人など、いやしない。
  • どんな個人にも、無意識下には自己認識できていない盲点や死角が必ずある。
     
  • そこを衝いてうつ病は発症する。
    だからその「価値観や価値」が周囲の環境といつどんな矛盾を生じるのか、つまり価値観や価値の挫折や喪失が生じるのか、事前に予測は不可能だ。

 

(イ) うつは「弱い人」がなるのか

  • 「俺は自分の内面は全て把握している。だからうつにはならない」と自信のある方もいらっしゃるかもしれない。
  • だがその場合でも、その根拠は「自分はそう思っている」という主観的な自己認識だけだ。
  • それならうつ病を発症した人も同じ認識だったことだろう。本当に全ての内面が把握できているのかもしれないし、単にそう思い込んでいるだけなのかもしれない。

  • だから「自分は己の内面は全て把握できている」という自己認識があるからと言って、すべての内面が把握できているという保証はない。

 

  • すると「自分は己の内面は全て把握できている」という自己認識の有る人、つまり「強い人」であろうと、うつ病にならないという保証はない。
  • うつ病になるのかもしれないし、ならないのかもしれない。事前の予測は不可能である。

  • もしそのような「強い人」が生涯うつ病にならなかったからと言って、それは「己の内面は全て把握できている」という自己認識が正しかったという根拠にもならない。
  • 自己認識の盲点や矛盾が、偶々顕在化する機会がなかったためにうつにならずに済んでいたのかもしれないからだ。

  • それならここで、こんな考え方もあることだろう。つまり

「それではうつになるのを予防するため、自己の内面の全てを把握しておくべきではないのか。

そのための努力が、即ちうつの予防策になるのではないのか」

ということだ。
一種の「自分探し」若しくは「自己修養」に努めておくべしという考えだ。
 

  •  だが上述の通り「自分の内面は全て把握している」と言っても、その根拠は「自分はそう思っている」という主観的な自己認識だけだ。
    そしてその自己認識があてにならないことも上述の通りだ。
  • だからこの「自分探し」若しくは「自己修養」には、これで十分と言うゴールが設定できない。ゴールがないということは、際限がないということだ。
  • このような際限のない「自分探し」や「自己修養」に陥るとどうなるのか。人生の大半をこの「自分探し」や「自己修養」の為に費やすことになりかねない。
  • うつを予防してより良い人生を送る為の「自分探し」や「自己修養」だったはずが、しまいには「自分探し」や「自己修養」の為に人生を費やすことになってしまう。これでは本末転倒である。

 

  • となると結論はこうだ。
  • 自分の内面を把握しようと思っての「自分探し」や「自己修養」は、やりたければやればいいし、やりたくなければやらなくてもいい。

  • ではうつになったらどうするのか。結論は

「それは、その時に対処する」

である。

  • ただし、次の重要事項が必須条件として付く。それは

「ダメージを最小限にとどめるための備えはしておくこと」

である。

  • これは或る意味では、いい加減でズボラな考え方と思えるかもしれない。
  • だが、際限のない自己修養に人生の大半を費やすことなどを考えれば、この方がはるかに現実的で合理的な判断と言えよう。

 

(ウ) うつは「几帳面な人」がなるのか

  • いつもかつも百パーセント几帳面で、寸秒たりとも手抜きしない人など、実はいない。
  • 誰でも必要な局面だと判断すれば手抜きなしに几帳面に対応するだろうが、不要だと思えば適当に対処しておくことだろう。
    そしてその局面は、本人の価値観に従って取捨選択する。

 

  • これはズボラを自認する人でも、大なり小なり同じことだろう。だいたいがズボラという自己認識からして、自己の判断ではない。
     
  • 本音を言えば、誰でも自分が基準である。
    だからたとえ周囲から「ズボラだ」と言われていても、ご本人は

「物事は、この程度で済ませておくのがいいんだよ。みんな几帳面だなあ。真面目過ぎるんじゃないの?」

と思っている。

  • ただ周囲が自分のことを指して、あまりにも「ズボラだ、適当だ」というから、それに合わせているだけなのだ。

 

  • 従って、このような対応と取捨選択は、うつの病因として将来顕在化するかもしれないし、しないかもしれない。
    ズボラだという認識が他称であれ自称であれ、「内心の価値観や価値」が周囲の環境といつどんな矛盾を生じるのか、誰にもわからない。

  • 「あまりにもズボラだ」と責めたてられてうつになるのかもしれないし、いくらズボラ屋を自認していても、内心密かに「これだけは譲れない」という一点があり、それが周囲との軋轢の原因になるのかもしれない。
  • そしてその一点とは、必ずしも当人は意識的に自覚しているとは限らないことは既に述べた通りである。

  • したがってズボラ屋だろうとなんだろうと、うつになるのかならないのかの事前予測は不可能なのだ。

 

(エ) 事前の予防は可能か

  • 結論を先に言えば、予防は不可能だ。
    ワクチンやら予防注射やら、現代医学に慣れ切ってしまった現代の一般社会では「病気なら予防はできるだろう」と思っている。
  • だが「こころの病気」であるうつには、その「常識」は通用しない。

 

  • もちろん早期発見や予防のための「努力」は可能だ。現にメンタルヘルスケアとして様々な取組が行われている。
  • ちなみにここでは、そのような努力に対して何か否定や批判をしているつもりは一切ない。誤解の無いよう念の為ここで予めお断りしておく。
  • だがそれらの努力の結果、果たしてうつ病の発症が予防できたのかどうかの判断が難しい。
  • ここでうつ病発症を予防しようとして、何らかの対策を講じたとする。そして万全の対策を期したと確信が持てたとしよう。
  • しかしその確信の根拠は、所詮は主観的な自己認識でしかない。結局同じことなのだ。
     
  • 事前の努力に相違して、うつ病になってしまった場合は、その予防策が有効ではなかったことがわかる。
  • だがうつ病にならなかった場合はどうなるのか。予防策が有効だったのかどうか、誰にも分からない。予防策が有効だったのかもしれないし、病因が偶々顕在化しなかったためなのかもしれないからだ。
  • その場合は、将来の環境変化によって結局発症してしまう可能性は排除できない。終生免疫の獲得を目的にワクチンを予防注射するような場合とは、わけが違うのだ。
     
  • もちろん、対策を講じた集団全体、たとえば地域や職場や企業などで発症率が低減する場合もあり得ることだろう。
  • この場合は「対策は有効だった」と言いたいところだが、そうではない。
  • 発症がゼロにならなければ、そう言い始めることもできないし、たとえゼロになったところで、上述の通り偶然性は排除できない。

 

  • 発症がゼロにならなかったということは、その対策を講じたとしても発症した人がいるということだ。
  • したがって少なくともその人にとっては、その対策は有効ではなかったということになる。
     
  • 対策が効かなかった人にとっては、どうなのか。
  • 他の人に効いたからと言って「対策は有効でした」と多数決で決められても困る。

「会社がこれだけ一生懸命対策を講じているのに。しかもその対策は他の人には効いているんですよ。

それなのにあなたときたら、うつ病になんかなって。それは発症するあなたの方が悪いのです」

などと決めつけられては、堪ったものではない。

  • たとえ対策を講じた集団全体で発症率が低減する場合があったとしても、結局その場合に言えることは「この対策は、一部の人には有効でしたが、別の一部の人には有効ではありませんでした。」というだけのことである。
     
  • 結局どんな対策でも、有効性が検証できなければ対策ができないのと同じことである。
    これが先に結論として「うつの予防は不可能だ」と述べた理由である。

 

(オ) うつは防ぐことはできない。だが備えることはできる。

  • あなたはうつになるのかもしれないし、もしかしたら、ならないのかもしれない。事前の予測は不可能である。
  • また、たとえうつになるとしても、それでは自分はいつうつになるのか、その時期の予測も不可能である。
  • しかも事前の予防策は無い。
     
  • こう書いてくると、むやみやたらと脅かし文句ばかり並べているように思われるのかもしれない。だがそうではない。
     
  • 自治体のハザードマップのことを考えてみればよい。
  • あれは住民を脅かすために作っているわけではない。土砂風水害などの想定される災害が生じた場合に、どの範囲まで被害が及ぶのか、事前の予想範囲を示したものだ。
  • もちろん目的は、災害に対して住民各自が事前に備えて、少しでも罹災被害を減らすためである。
     
  • うつ病に関しても、全く同じことが言えるだろう。
    うつは防ぐことはできないのかもしれないが、備えることはできるのだ。