8)こんなうつは「治らない」(すごろく図⑱~㉗)(2)

(「申し訳ない」では「上がれ」ない)

  • 前項では、こう書いた。

「うつからの回復は原状回復ではない。そのまんま元通りではない。変化した自分として戻ってくる」

と。 

 

  • だがこの解釈として

「うつから回復しても『元通り』にはなれない。だからもうかつてのようにバリバリ働けない。
このまま今後は一生パワーダウンの安全運転しかできないのだ。
以前と給料は同じなのに、これではパワーダウンの分だけ給料泥棒になる。ああ、申し訳ない」

と思う人がいるかもしれない。

 

  • 既に書いたように、企業によっては復職当初に業務負荷軽減期間を設けているところもある。
    また何よりも再発防止を最優先にする見地から、復職後は絶対に無理をせず、安全運転に努めるようにアドバイスを受ける場合もあるようだ。
     
  • だから「復職後は二度と以前と同じパワーは出せない身になる」と思うことになるのだろう。

 

  • なるほど。
  • だが、よしんばそのように安全運転の一生になったからといって、どうして、何がそんなに「申し訳ない」のだろうか。 
  • 残業時間や処理業務量など、量的指標でパワーセーブしなければならないことがあるというだろうか。 

  • それなら、何か他のことで埋め合わせすればいいだけのことではないのだろうか。
  • 自分のスキルや得意分野を棚卸しして、パワーダウンしていても可能なこと、今なおできることを、何か探し出して埋め合わせればいいのではないだろうか。
  • だが、この

「うつからの回復は、そのまんま元通りではないのだから、たとえ復職できても、以前と同じパワーは二度と出せない身になる。」

という解釈は、もちろん間違いである。 

 

  • それは、すごろく図⑬の「病因の自己認識」が、どれだけ確立できているかに依る。
     
  • これが徹底的に確立していれば、

「なんだ、俺のうつは、コレが原因か。
そうとわかったら、よし、今後はこうしたらいいんだな。
さあ、矢でも鉄砲でも飛んで来い!」

と言う自信が回復してくるはずである。

  • こうなるのが「変化した自分として戻ってくる」という表現の本来の意味である。
    その時こそが、本来適切な復職のタイミングなのだ。

  • もちろんその場合は「その後は一生、安全運転」などにはならない。以前と同じくバリバリ仕事をこなせることだろう。
     
  • 言うまでも無いことだが、休職中は勤務も通勤もしないし、睡眠不足も強いられない。
  • だから肉体的にも精神的にも、負荷は減る。従って一定の回復はするのだが、だからといって病因が解消しているわけではない。

  • 誰もが不安と焦りから遮二無二復職を目指す。だが、この段階で早まって復職すると、再発してすごろく廻りの同じ繰り返しになる可能性が残る。

  • 上記のような自覚的自己認識が不徹底では、自信回復もままならない。だから、ひたすら「申し訳ない」と感じることになるのだ。

  • だがすごろく図⑬で言うところの「病因の自己認識」を通じて、たとえ無意識的にであろうとも確実に何かが内心で変わっていれば、上記のように自信回復しての復職となる。

  • その場合には「申し訳ない」という台詞は出てこないことだろう。
  • これが「『申し訳ない』では『上がれ』ない」と書いた所以である。