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皆さんは「うつは心の風邪です」という標語を覚えていらっしゃるだろうか。
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これはうつ病に関する認知の普及促進を目的に、1999年頃に大々的に行われたキャンペーンである。
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誤解の無いよう念の為ここで予めお断りしておくが、ここではそのキャンペーンに対して、何か問題視しているわけでは一切ない。
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このキャンペーンのおかげで、うつ病、ひいてはメンタルヘルスケアに関する社会的認識が相当浸透したのだから。
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だが後述するように、寧ろ問題なのは一般社会側の受け止め方の認識なのだ。
「からだ」の風邪
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なるほど、風邪で休職する人はいないだろう。耳鼻咽喉科か内科に行って薬を貰い、せいぜい数日間会社を休んで自宅で寝ていれば治る。中には「なんの、これしき」と頑張って、会社を休まずにそのまま治してしまう人も多いことだろう。
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その場合でも、もし職場に対して申し出ることがあるとすれば、せいぜい「今ちょっと風邪を引いていますので」と残業せずに定時で帰ったり、フレックス勤務制度などがあれば、治るまでの無理を避けるために、遅めの時間に出勤したり早退したりすることくらいだろう。
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それでも数日間で治る。つまり回復までの期間もはっきりしているし、たかが知れている。いつになったら治るのかはっきりしなかったり、回復までの期間が人によって全然違ったりなどと言うことは、無い。これが「からだの病気」である風邪にかかった場合の話である。
「こころ」の風邪
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その認識を「こころの病気」であるうつ病にそのまま適用すればどうなるのか。
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「うつ病も、会社を休まずに治せるもの、治るもの」と思うことだろう。抗生物質やら抗ヒスタミン剤やら、それに対応した薬が風邪にはある。それなら、うつには抗うつ剤と言う薬があるではないか。
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だから「うつは薬で治るもの、会社も休まず、いずれ近いうちに治るもの」という認識になったところで不思議ではない。その場合は、勤務を続けながら投薬療法でうつの回復を試みることになる。前記の図はそのような経過を示したものである。
「風邪は会社を休まず治すもの」か?
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うつと診断された人の実態はどうなのか。
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ひょっとしたら、前記の図のような経過、即ち休職無しの投薬療法だけで済んでいる人の方が多数派なのかもしれない。
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現に著者も休職を何回か経験した後で、友人たちに「実はうつで休職してしまってなあ」と告げたところ、「いや俺も何年間か、抗うつ剤をのんでいたんだ。休職はしなかったけどね」と言われて驚いた経験が何度もあった。
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また既に書いた通り、かく言う著者自身も途中まではそのような経過、つまり休職無しでの回復を期待していた訳である。
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再び誤解の無いよう念の為ここで予めお断りしておくが、休職無しでの投薬療法だけで回復したことが問題だなどと言っているわけでは全くない。
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必要もないのに休職することなどない。休職無しでの投薬療法だけで回復したのなら、それはそれで大いに結構なことだ。それがその人にとっては最も適切な治療経過だったのだ。
「こんなはずじゃなかった」という焦り
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だがここで寧ろ問題なのは、「だから、うつは休職無しでの投薬療法だけで治るもの」という認識が固定化してしまうことなのだ。
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もしも、そのような認識が固定されたまま、やむなく休職に至ったらどうなるのか。
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職場へ何か申し出することはおろか、先ずは復職しないことには何も始まらない。
だから「これは、いかん。一刻も早く復職しなければ」と焦ることになる。
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このように、休職してはじめて「こんなはずではなかった。『うつは心の風邪』だったはずじゃないのか」というショックと焦りに陥ることになる。
だがかえってその焦りが、ドクターショッピングをはじめ、際限のないすごろく廻りに繋がる可能性については既に述べた通りだ。
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そして自分もいつのまにかすごろく廻りが始まって、初めてその悪循環に気がつくことになる。
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もちろんその悪循環を惹き起こす根本的な原因は、「うつは休職無しでの投薬療法だけで治るはず」という固定観念なのだ。
悪循環のすごろく廻り
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だが既に書いた通り、うつは人間生活の根源的なエネルギー、つまり気力そのものを破壊する病気だ。
風邪どころか、こじらせたら悪循環にはまり込む一方の、相当難物の病気である。一旦ハマリ込んだらグルグル回りの「すごろく」が待ち受けている。
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ここで上記のような固定観念があるうちは、いったいどうなるのだろうか。
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うつが相当な難物の病気だという認識も、自分のことを待ち受けているかもしれないすごろく廻りの存在も、殆ど意識にのぼってくることはないだろう。
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だから「まさか」「こんなはずじゃなかった」という焦りが生まれるのだ。
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これが「『まさか』で始まるすごろく廻り」と書いた所以である。