「ムラスタン人」と「ワカスタン人」
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一つは、所謂「ムラ社会」を作ってその中に住んでいる人たちである。
だから、ここではこの人たちのことは、仮に「ムラスタン人」と呼ぼう。
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もう一つの民族は、「人は皆それぞれ。お互い違っていて当然」という考えの人たちである。
この人たちは、特に若い世代の中に多いのではないかと著者は考えている。
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「若(わか)い人たち」に多いということなのであれば、それではこの人たちのことは、ここでは仮に「ワカスタン人」と名付けることにしよう。
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「ワカスタン」の「ワカ」は「若い(わかい)」の「わか」である。
(ちなみに「~スタン」とは、ご承知の通り西南アジアや中央アジアなどで「何々の土地」「何々の国」という意味を表す、ペルシャ語起源の接尾辞である。
「パキスタン」や「アフガニスタン」という国名は、どなたもお聞きになったことがあることだろう。
「パキスタン」は「清浄なる国」という意味であり、「アフガニスタン」つまり「アフガンの国」というのは、「パシュトゥーン人」即ち別名「アフガン人」によって建国された歴史に由来している国名である)。
「ムラ社会」の「掟」
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さて前記の図で示したように、ムラスタン人の遵奉する価値とは
「場の『和』」「面子」「立場」「序列」「顔(かお)」「身の程(分=ぶ)をわきまえること」
などである。
「思いやり」「察し」「気配り」「気遣い」「場の『空気』を読む」
などの行動が求められる。
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これらはみな「内向きの」「身内の論理」である。
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このような「ムラ社会」の価値と習慣を一括して、ここでは「掟」とよぶことにしよう。
もちろんその「掟」とは「ムラ社会」の「掟」である。
同質性の観念
「みんな一緒」「誰もが同じ」「『同じこと』が『良いこと』」
という意識の持ち主である。
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つまり皆「同質で同一文化の持ち主だ」という意識であり、しかもそれが「本来の自然な状態であり、従って良いことなのだ」という観念の持ち主なのだ。
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これをここでは「同質性」の観念と呼ぼう。因みにこの観念は全員に適用され、例外は許されない。
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もちろん前記の通り、人間は「人は様々、十人十色」なのだ。人間の本質は多様性なのだ。
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だからこの「同質性」の観念は、この本質に反した謂わば現実遊離の観念だと言えよう。
なぜそのような観念が登場したのかは、後程説明する。
同調圧力
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上記のような「同質性」の観念を根拠に、ムラスタン人は全員が「掟」を守るよう強制する。
これを「同調圧力」と呼ぼう。
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因みに、このような「同調圧力」の対象は全員である。
つまり全員が監視対象であり、同時に監視役でもある。個人の判断で離脱することは許されない。
ムラスタン人と「ムラ社会」
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このような「同質性」の観念を信じ、その「掟」を守るのがムラスタン人である。
そしてこのムラスタン人が理想社会とし、「同調圧力」によって維持し実現を図っているのが「ムラ社会」なのである。
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因みにこのムラ社会の対象は「全員」であり、個人の判断で離脱することは許されない。
だが、それでは一体誰がその「全員」の対象になると言うのだろうか。
誰がムラスタン人か
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その定義は「『ムラ社会』が対象とした個人は、全員『ムラ社会』の対象となる」である。
このような同語反復的な図式しか「ムラ社会」は持たない。個人の判断で離脱することを許さないためである。
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この「ムラ社会」では、ワカスタン人も対象とされる。ムラスタン人の「同質性」の観念からすれば、ムラスタン人以外の存在は認められないからだ。
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ムラスタン人にとっては、そもそもワカスタン人などという集団は存在すらしていない。
この問題については順次説明する。
全員とは多様性
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さて既に述べたように、実は「人はそれぞれ。十人十色(といろ)」であり且つ「三つ子の魂百まで」である。
つまり、もって生まれた性質は変わらないし変えられない。
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従って、社会の中で必ず一定数は「ムラ社会が美徳」と考える人が生まれる。
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一方で、また別の一定数は「人はそれぞれ。お互い違っていて当然」という考え方の持ち主が生まれる。
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だから社会全体が全員「ワカスタン人」になることもあり得ない一方、全員が「ムラスタン人」に生まれつくこともあり得ない。
日本における「多元社会」
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実は日本は、これら二つの異なる民族の混在社会である。
つまり文化も複数ある「多元社会」「多文化社会」である。
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ただ言語だけは、偶々共通に日本語を使用しているのだ。この点だけがちょっと独特だ。
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だが言語以外の点では、この二つの「民族」は価値観も習慣も意識も、上記の通り全く違う。
言語以外は全て、お互い悉く対照的に異なっている文化の「民族」どうしなのだ。
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おまけに人口の大小差もある。
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いうまでもなくムラスタン人が(圧倒的)多数派であり、ワカスタン人は少数派である。
この人口差がどのような現実をもたらしているのかは、順次述べる。