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或る研究者が、日本全国の地域別自殺率を調査した結果、有意に自殺率の低いコミュニティが幾つか見つかった(注)。
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因みにこの調査は、都道府県単位ではなく市町村単位、それも「平成の大合併」以前の市町村単位で調査したところがミソである。
そのようなコミュニティの一つが、この海部町であった。
(注:岡檀(おか・まゆみ)著「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」2013年講談社。以下、詳細はこのあとの「補足です」参照)
四国南部の小さな町で
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早速この海部町にフィールドワークを行ったところ、そこは純粋な日本の集落でありながら、所謂「ムラ社会」とは全く違う社会であった。
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即ち、閉鎖的な「ムラ社会」ではなく、極めて開放的な気質のコミュニティが作られており、その結果自殺率の低い社会となっているらしいというのである。
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因みにこの研究者・岡檀氏によると、この海部町は現在では「人口三千人程度で推移してきた」「小さな町」である。
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だが後背地に豊かな山林があり、且つそこから流出する河川の河口部に位置するため、海港も備えている。
つまり林業資源そのものと、筏と舟運という運輸手段の両方を具備していた訳だ。
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従って、過去には「材木の集積地として飛躍的に隆盛した」歴史のある土地柄だそうである(前掲書p.1・p.87)。
五つの気質
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さて、この海部町の気質として、岡氏は前掲書の中で次の五つの特徴を挙げている(前掲書・第二章)。
① いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
② 人物本位主義をつらぬく
③ どうせ自分なんて、と考えない
④ 「病」は市に出せ
⑤ ゆるやかにつながる
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如何だろうか。
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この五つの内容を詳しく書いていくと、岡氏の著書そのものの紹介になってしまう。
だから、その詳しい内容は岡氏の前掲書を直接ご覧戴きたい。
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従って、ここでは「日本人多民族」説との関連づけて解釈した結論のみ、摘記する。
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もちろんこの解釈は岡氏のものではない。ここで「日本人多民族」説なる喩え話しを展開している、あくまで著者個人の解釈である。
この点、念の為お断りしておく。
ワカスタン人との共通点
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先ず①「いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい」だが、これは多様性の容認のみならず、その奨励である。
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「人ものの考え方は十人十色、価値観も人それぞれ」とワカスタン人の意識について書いてきた内容の、そのものズバリである。
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「日本人なら『ムラ社会』が当然」どころではないのである。
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続く②「人物本位主義をつらぬく」についても同様だ。地位肩書きはもちろん、年功序列なども全く重要視されない。
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おそらくそんなものにはお構いなしに、正しいと思ったら自分の主張をどしどしできるところなのだ。
そう解釈すれば、ワカスタン人と全く同じ気質だと言えるだろう。
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次の③「どうせ自分なんて、と考えない」は、所謂「自己効力感」が高いということになるのだそうだ。
これはワカスタン人で言えば、積極的な意欲を持っているということに繋がるだろう。
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また④「『病』は市に出せ」(やまいはいちにだせ)であるが、これは能動的な自己表出の奨励ということになるだろう。
海部町の場合は、問題に直面して他人の手助けが必要になった場合に、周囲の初動対応を迅速化して事態の無用な悪化を回避するという智恵として行われているようだ。
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これは各自が率直な自己表出を躊躇せず、また周囲もそれを許容し且つ当然視しているということになるだろう。
そのように解釈すれば「言いたいことはハッキリ言う(お互い言わなきゃ分からない)」とワカスタン人の習慣について書いたこととぴったり合致する。
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最後の⑤「ゆるやかにつながる」は「人間関係が固定化されていない」ということだそうだ。
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考えれば当然だ。
「人ものの考え方は十人十色、価値観も人それぞれ」という意識が当然のものならば、「コミュニティの規範や共通の価値観からはずれるような行為は極力抑制」されるとか、コミュニティが「均質化への一途を」たどる(前掲書p.86-87)なんてことはありえない。
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「ムラ社会」の「掟」や「しきたり」などとは、全然ご縁がないのだ。
これも「日本人」である
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如何だろうか。
徳島県内の一地域のことを書いていながら、これまで書いてきたワカスタン人たちと、まるでそっくりなのではないだろうか。
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因みに、前記の通りこの海部町は純粋な日本の集落である。
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過去の歴史において南蛮貿易に従事したり、幕末明治になって開港場に指定されて外国人居留地になったりした土地柄でも何でもない。
あくまでも日本人だけで形成されてきた集落なのだ。
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よってここで言える結論は、日本人だからといって「ムラ社会」を作るだけの能力しかないのではないということだ。
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一定の条件下では、日本人でも極めて開放的なコミュニティを作る能力がある、という実例があるのだ。
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即ち「日本人イコール『ムラ社会』」ではないのだ。
日本人なら誰でも自動的に「ムラ社会」で生きているのではない。
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日本人であっても開放的な社会は形成できるし、その実例もあるということだ。
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前掲書は、岡檀(おか・まゆみ)著「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」(2013年講談社)である。
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これによると、岡氏は「平成の大合併」以前の3,318市町村単位で、過去三十年間の自殺率平均値を算出した。
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ここから年齢分布による影響を除去した「標準化自殺死亡比」において、「島」にあるという立地条件を除くと、全国市町村の中で最も自殺率が低いのがこの海部町であった。
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最も低い上位十か所の市町村の中では実は海部町は第八位だったのだが、他の九か所の市町村は全て「島」にある地域であったためである。
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また合併前に隣接していた旧自治体と比較しても、この海部町の自殺率は有意に低かったという。
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つまりこの自殺率の低さは、海部町地域固有の特長なのである。
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なお前記の通り、海部町は現在では海陽町の一部となっている。従って文中の海部町という記述は、合併前の旧町名とその地域を指すものであることをお断りしておく。
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因みに岡檀氏から著者が直接伺ったお話によると、青森県や京都府の一部にも、徳島県海部町と同様に有意に自殺率の低い集落が発見されたそうである。
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そして統計的な定量化が可能な程度は様々とは言え、やはり海部町と同様な気質がそれらの集落にも幾つか観察されるという。
【前掲表紙画像引用元:「講談社BOOK倶楽部」】http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062179973
【この補足の項、終わり】