その不合理さにはワケがある
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問題なのは「ムラ社会」の内容そのものにある。
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繰り返し述べて来たように日本の「ムラ社会」は、「同質性」の観念を至上価値としている。
もちろんこれは「人は十人十色」という人間の本来的な多様性を無視している。全くの現実遊離の観念なのだ。
その不合理性については既に詳しく述べて来た。
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ここで問題にしたいのは、その目的である。
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どんな社会でも、その社会が成立するためには何らかの必然性があったはずである。たとえどんな不合理な社会でも、それは同じことだ。
その社会が成立するためには、何かの理由があったのだ。
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もしかしたら逆に不合理であるがゆえに、敢えてそれを押し切ってまで社会を成立させなければならない理由があったのかもしれない。
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では日本の「ムラ社会」の場合、一体その理由とは何だったのか。
「ムラ社会」とは「鎖国」である
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答えを先に言えば、その理由とは「鎖国」である。
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つまり日本の「ムラ社会」は、外部からの影響を遮断して「内向きに」閉じこもる為に形成された社会なのだ。
「内弁慶の文化」であるのも、当然のことなのだ。
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では、その「鎖国」社会成立の契機とは何なのか。
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近世ヨーロッパからの所謂「西力東漸」を阻止し、その影響を遮断するための江戸幕府初期の鎖国政策なのか。
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それとも、もっと古く白村江の敗戦まで遡るのか。朝鮮半島との交渉を遮断され、日本列島内に封鎖されて自活を強いられた上に、中国大陸からの武力侵攻に対する防衛を迫られた。そのためなのか。いずれにしても諸説あることだろうから、ここではこれ以上立ち入らない。
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因みにここでは、主に後者の「白村江」説を念頭に書いていることをお断りしておく(この点について詳しくは、このあとの「補足です:『日本』社会の形成起源」をご覧戴きたい)。
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だがいずれにしろ、日本の「ムラ社会」の様々な「掟」や「同質性」の絶対視や「同調圧力」の強制も、このような「鎖国」を維持するための仕組みなのだ。恐らくそのような仕組みによって「ムラ社会」の内部分裂を防止し、強制された「同質性」の理念を社会の統合原理として選択したのだろう。
「鎖国」の「ウチ」と「ソト」
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「鎖国」というからには、国外から国を閉ざすことだ。それなら逆に「国内とは何か」が明確でなければならない。
つまり国の内外を明確に区別できる基準が必要になる。
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ここで登場するのが「同質性」の観念と「同調圧力」である。この観念を強制する「同調圧力」に応じるのが日本人、応じなければ日本人ではないということになる。もちろんこの「日本人」とは「ムラ社会」人のことだ。
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この同調圧力が及ぶ範囲が「国内」であり、及ばなければ「国外」ということになる。謂わば「ウチ」と「ソト」、「身内(みうち)」と「他所者(よそもの)」の区別である。
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また「なぜ日本列島国内に閉塞して『鎖国』などしているのか」と問われた場合、「外部から影響が及んできたためです」というのでは、消極的な理由にしかならない。外部環境に依存した理由なのだから、自発的つまり能動的な動機とは言えない。
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だから「日本人は皆、同質で同一文化の持ち主だ」という「同質性」の観念を発明したのだろう。もちろんこれは現実遊離の観念だが。
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だがそうすれば
「我々は日本人です。日本人が日本列島に集まって住んでいるのは、皆同質で同一文化の持ち主だからです」
と自分自身について胸を張って言える。そして
「日本人だけで十分独自の文化を持っているのですから、たとえ鎖国しても自足も自立も可能なのです」
と「鎖国」についても積極的な主張を展開できる。もちろんここで言う「日本人」とは「ムラ社会」人のことである。
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だが鎖国政策は、その対象住民に対して同調圧力を持って強制しなければならない。従って、
鎖国を強制する根拠として、心理的にこのような観念を必要としたのだろう。たとえ現実遊離の観念だったとしても。
「同調圧力」は「踏絵」である
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因みにこの観念の現実遊離性は、強制する側にとっては実は利点がある。
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現実から遊離していればいるほど、強制される側にとっては負担と自己犠牲が増える。
だがそのような犠牲を払ってまでも同調圧力に応じるならば、恐らくその同調は確実なものと言えるだろう。
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犠牲を払った側にしてみれば「ここまで犠牲を払ったのだから、今更引き返せない」という心理が働く。謂わば「毒食わば皿まで」という行動を泣く泣く余儀なくされるわけだ。
強制する側にしてみれば、犠牲を払えば払う住民ほど同調圧力に対して忠実だと判定できる。所謂「踏絵」と類似した機制である。
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もちろん同調圧力を加える側も加えられる側も、各々の個人がこのような心理機制を意識的に自覚した上で行動していたという意味ではない。恐らく社会的に無意識な集合的心理の判断なのだろう。全く有難くない話だが、可能性としては承知しておく必要がある機制と言えるだろう。
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著者はもとより専門家でも何でもないし、ここでは歴史学として日本史の分析を述べているのでもない。いずれにしろ諸説あることだろうから、日本社会の成立の契機については、ここではこれ以上は諸説に立ち入らない。従ってここで書いている内容も、あくまでも仮説である。
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ここで「日本」の社会形成の起源を白村江以降の動向に求める説については、例えば東洋史学者の岡田英弘氏や精神分析者の岸田秀氏などを参照している(岡田英弘「倭国の時代」ちくま文庫2009年、同「日本史の誕生」同2008年、岸田秀「歴史を精神分析する」中公文庫2007年など)。
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これらの内容を著者が自分なりに要約しうると概略以下の通りである。
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白村江敗戦以前の日本列島は、起源の異なる住民が各地の集落に散在する雑居状態であった。もちろん統一王権など無い。
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だが白村江の敗戦によって朝鮮半島との交渉を遮断され、日本列島の住民は全員列島内部に封鎖された上で、自活を強いられることとなった。
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このため対外防衛とこの自活の為に、急遽各住民を糾合して統一王権を形成することとなった。外敵対処が目的だった訳だから、日本列島外つまり中国大陸と朝鮮半島(岡田氏の用語では「韓半島」)からの影響に対しては、非常に警戒心を以って接した。
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この結果、その後たとえ日本列島外と修交することになった場合でも政経分離の方針を取り、天皇家自身が修交するのではなく、天皇の臣下である征夷大将軍などから修交する形式にした。
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また日本の君主家つまり天皇家は、自身からは正式な国書は出さなかったし、国外の王家と政略結婚することも一切しなかった。
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つまり「鎖国」が国是の基本だった。この国是を、近代の開国に至るまで一貫して維持してきたのが「日本」の社会だったという。
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なお、これ以上詳しく書いて行くと両氏の著書そのものの内容紹介になってしまう。だからその詳しい内容は、前掲書など両氏の著書を直接ご覧戴きたい。ここでは特に岡田氏の所説を参考にしている。
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因みにここでの記述は両氏の諸説を参考にしつつの、あくまで著者独自の解釈である。この点予めお断りしておく。従って、両氏の諸説については両氏の著書などを直接ご参照戴きたい。
【この補足の項、終わり】