答えは無数無限
-
「何のために生きているのか」つまり「人生の目的は何か」と問われれば、誰しもがなにがしかの答えを言うことだろう。
こういう言い方に従えば、問いは「人生の目的」を定義せよという設問になる。
-
そして各自が「人生の目的」として挙げる答えは、様々に観念的な抽象語になることだろう。
例えば曰く、「自己実現のため」「幸福のため」「自分の信念のため」、等々。
-
だが、ではいったいその「自己実現」とは何なのか?「幸福」とは何か?「自分の信念」とは何なのか?
そこで答えとして挙げられる抽象語は人によって違う。そして抽象語に対して各自が内心で付与している意味も、やはり人によって違う。
たとえその意味を噛み砕いて説明してもらったところで、結局その意味も観念も人によって千差万別だということが分かるだけだ。
-
これでは結局答えを共有化することはできない。問いかけしたところで何の収斂も変化も起きないのであれば、そもそも問いかけする意義が無い。
-
それなら設問の方法を変えなければならない。では、いったいどのように変えるのか。
問いかけを変えてみると
-
どんな人生観の持ち主であろうとも、何が人生の目的だと思っていても、共通して持っている筈のものがある。
それは「評価基準」である。
-
自分の信じる人生目的をどれだけ達成できているのか、到達できたのか。
誰しもがその達成度を自己評価する基準を持っているはずである。
-
つまり、ある「人生目的」を信じるということは、その達成度を測る「評価基準」を持つことと同義である。
「人生の評価基準」とは
-
誰もが自分の人生をこの評価基準に照らして常に自己評価しているのだ。
そして自分の信じる人生目的を達成できているのか、それに適っているのかどうか省みる。
このような評価基準とは、誰もが持っており、常に利用している存在なのだ。
-
従って、その評価基準を対象にすれば、観念的な抽象語を吟味するよりも一層具体的な考察が可能になることだろう。
-
以下では、人生の目的とは何かを定義するために、そもそも人生の評価基準にはどのようなものがあり得るのか、検討する。
そして、それらをいくつか類型化して提示することにより、人生モデルを列挙することとする。