11)人生での「リスク対処」

「自業自得」なのか

  • 因みにここで誤解の無いようにお断りしておくと、ここでは「いつ、うつになるのか分からないから結婚も子作りもするな」とか「家族を抱えたままでは、うつは治らない」などと言っている訳ではない。
  • 現在の生活設計は過去の自分が判断した結果だ。
    だからその変更には何らかの前言撤回が必要になる。そしてそれには家族の同意と決断も必要となる。
    この原理を指摘しているだけである。
  • だがそれでも、こんなことを言う人もいるのかもしれない。
    「結婚も子作りも、自分が判断した結果だ。だから、うつだろうとなんだろうと、扶養義務にとって悩む羽目になったのは、謂わば『自業自得』なのではないか」
    と。だがこの(自己)批判は間違っている。なぜか。

 

 

「もし…たら…れば」

  • 既に述べたように、リスクのない人生などは有り得ない。うつ以外にも、怪我なのか事故なのかその他の病気なのかわからないが、何らかの事情で働けなくなる危機に直面する可能性はある。
    一方で、人生はその場その時その都度の、取捨選択と状況判断の累積結果だ。
  • 従って危機に直面した時点から過去に向かって遡及していけば、必ず別な選択肢や可能性が見つかる。もしも過去の時点で「そちらの方を選んでいれば、今の危機には至らなかった」と考えられるような選択肢や可能性である。
    つまりこれは「もし…たら…れば」の議論である。従って先ほどの批判は、この「もし…たら…れば」の議論による結果論でしかない。後知恵で批判しているだけなのだ。
  • だが、危機に直面した時点から過去を振り返った時に、「必ず」別な選択肢や可能性が見つかるとしたら、どうなるのか。
    たとえ何の危機であったにせよ、何かの危機に直面した人は、この「もし…たら…れば」の批判に「必ず」曝されるということだ。
    だがリスクのない人生などは有り得ない。誰でも何らかの危機に直面する可能性は避け得ないのだ。
    となるとこの「もし…たら…れば」の批判も、避けようがないということだ。

 

 

「リスクゼロの人生」とは

  • だが、この「もし…たら…れば」の議論の趣旨を敷衍するならば、それは「一切のリスクを排除した人生を送れ」ということになってしまう。
    だがそんなことは非現実的だし、そもそも不可能だ。リスクのない人生などは有り得ないのだから。
  • もちろん何の危機に直面しない人生の方が望ましいし、もし人生のリスクがゼロにすることが可能なら、その方がいいだろう。
    だからと言って、この「もし…たら…れば」の議論はその答えとはならない。過去にあったはずの別な選択肢や可能性を探していても仕方がない。
  • もちろん過去を振りかえれば、結果的に裏目に出てしまったご自分の判断も行動もあることだろう。
    だがその時にはその時なりの、よんどころのない何かの事情があったのだ。身も蓋もないことを言えば、自分の判断や行動がそのように裏目に出るということも「リスク」の中に含まれるのだ。いくら後知恵で「もし…たら…れば」と考えていても答えは出ない。
  • なんでも後知恵で考えて解決になるくらいなら、最初から「リスクゼロの人生」を送れていた筈だ。
    だが、そんなことは非現実的な夢想に過ぎない。結局それでは「リスクのない人生などは有り得ない」という事実の認識から、自分の目を逸らすことになってしまう。
  • ではどうしたらよいのか。過去はさておき、少なくとも今後はどうしたらよいのか。
    その答えはたった一つしかない。それは「同じ轍を踏まない」ことである。

 

「同じ轍を踏まない」

  • では「同じ轍を踏まない」為には、今後どのような判断や行動をとったらよいのか。
    もちろんそれは、各自の価値観と環境と判断によって様々である。他人からどうこう言う問題では無い。当人が最も確信を以って踏み切れるものであればよいのだ。
  • となるとこれは、必ずしも過去と同一の判断や行動をとることを排除するものではない。自分の人生は、自分の判断だけで左右できるものではないからだ。これまで述べて来たし、更にこれ以降も述べていく「他律性」の故である。
  • となると、過去の判断や行動が結果的に裏目に出てしまったからと言って、今後もそうなるとは限らないことになる。
    もう一度同じ判断や行動をとってみたら、今度は結果的に「ツイてる」ことになるかもしれない。つまりこれは一種の賭けである。
  • もちろん賭けに出るのかどうかは、各自の価値観と環境と判断によって様々である。ここでもし「賭けに出たのはいいけれど、やはりもう一度裏目に出てしまった」時はどうなるのか。
    だがこの場合「これはマズイ」と見切りをつける判断も、さっさと方向転換する行動も、以前よりはずっと素早くなっていることだろう。その結果、無傷か若しくはきわめて浅い傷で済ませることができる。つまりは「同じ轍を踏ま」ずに済んだことになるのだ。
  • もちろん今後どのような判断や行動をとるのかは、お任せする。
    今後の行動は控えめにして、用心深く慎重に振舞うのでもよい。機動的な撤退を前提にした上で、何らかの賭けに出るのでもよい。もちろんその他の方法でもよい。
    たとえどれであっても、ご自身が確信を持てる方法にさえすればよいのだ。ここではどれも推奨も特定もしない代わり、排除もしない。自分にとって「同じ轍を踏まない」という目的を達成すればよいことなのである。