需給の均衡原理
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上図は経済学でおなじみの需給曲線である。
なおこれはモデル化のために雇用の職種はただ一つと仮定され、従って雇用の市場価格つまり賃金水準を左右するのは需要と供給のバランスのみとなっている。
因みに需要はD、供給はS、賃金水準はp、雇用量はqで標記することとする。前述の通り、ここではこれを説明のイメージとして使う。
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さて雇用の需要と供給がそれぞれ一定の条件にある時は、どうなるのか。
上図の右の通り、需要曲線がD0かつ供給曲線がS0にあるとき、均衡点はE0に定まる。賃金水準はp0で均衡するわけだ。
需給と均衡の変動
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話しがこれで終わるのなら別段何の問題もない。
だがご承知の通り、時に応じて需要も供給も変動する。
ここで雇用の供給側とは、即ち働く個人だ。つまり雇用を供給するのは、各個人の自由意志による判断の結果だ。
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だがこれに対して、「需要」の方は個人の意思によるものではない。全くの外部条件だと言えよう。
では、この「需要」の変動は個人に対してどのように影響するのか。以下ではそれを考えてみよう。
景気と均衡水準の上昇
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先ずは上図右側グラフの局面である。即ち景気が上昇局面にあって、需要曲線がD0からD1にシフトした場合である。
もし供給曲線がS0のまま変わらなかったとしても、均衡点はE0からE1へ異動する。この結果、賃金水準はp0からp1へ上昇して均衡する。
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もちろん話しがこれで終わるのなら別段何の問題もない。
ベースアップするのか昇給があるのかボーナスがはずまれるのか。万事めでたしめでたしである。だがご承知の通り、景気は上がるときもあれば下がるときもある。
では今度は景気の下降局面ではどうなるのか、ちょっと整理してみよう。
需要減少と均衡水準の低下
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経済の活動は順調局面ばかりではない。当然ながら逆の局面もあるわけだ。
もし景気が下降局面に入ったらどうなるのか。需要曲線はD0からD2へシフトする。上図右側グラフで言えば、左方へ後退するわけだ。均衡点はE0からE2へ異動する。賃金水準つまり収入はp0からp2へ減ってしまう。
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もちろんこんなことは、わざわざグラフを並べなくても先刻ご承知のことだろう。
需要と供給で価格が決まること、景気が良ければ給料は上がり、そうでなければ下がるか、或いは少なくとも上がらなくなる。就職活動や転職活動を通じて先刻ご承知の通りだ。
「最小限度」の確保
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ではなぜこんなことをわざわざ書いたのか。
既に書いた通り賃金水準は景気動向によって変動する。従って賃金の均衡水準もp0・p1・p2など、様々に変動する。
だがそれらのp0・p1・p2などの水準はいったいどれくらいのものなのだろうか。前に書いた「最小限度」のことを、ここでちょっと思い出して戴きたい。
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これらのp0・p1・p2などの均衡水準が「最小限度」をいずれも上回っていれば、さしせまって問題は無い。どの場合でも取敢えず「メシは食える」。おそらく世の中の殆どはそうなのかもしれない。
当落線上の場合
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だがもしこのp0が「最小限度」そのものであったら、どうなるのか。
上図右側グラフのp0の水平線をそのまま「最小限度」の収入額としてイメージして戴きたい。と、どうなるのか。
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平常時は「最小限度」の生活が営める。景気が上昇すれば少々のゆとりができる。
だがいったん景気が下降局面に入ったらたちまち「最小限度」の水準も割り込んでしまう。「メシが食え」なくなってしまうのだ。
つまり景気動向によって、常に「メシが食える」のかどうかの当落線上をさまようことを余儀なくされるわけだ。
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このように、景気動向に関わらずいつでも均衡水準が「最小限度」を上回っていればさしせまって問題は無い。
だがもし均衡水準p0が「最小限度」そのものであったらどうなるのか。生活は絶えず当落線上をさまようことになる。
メカニズムの「他律性」
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取敢えず「メシが食え」たり、「当落線上をさまよっ」たり。いったいこの差は何なのか。
だが、それは単なる量的差異に過ぎない。
「景気動向」つまり雇用市場における「需給の変動」によって生活が左右されるというメカニズムに関しては、何の差もない。結果としての「均衡水準」において、単に量的差異があるだけだ。その結果を決めているメカニズムは共通なのだ。
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あなたの実力が落ちた訳でも何でもない。変わらぬ実力を持ち、同じ努力をしていても、得られる収入は全然変わってきてしまう。
それは雇用市場の「需給の動向」次第である。つまりは他人次第なのだ。これは「他律性」に左右される状況と言えよう。
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つまり「雇用市場」における需給変動というメカニズムは、人生に「他律性」を齎す。この点を強調するために、ここまで述べて来た次第である。
「社内市場」での「需給の変動」
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このように、需給変動によって収入が即座に上下するような事態。就職活動や転職活動は別として、こんな事態はサラリーマンにとって日常茶飯事のことなのだろうか。
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もちろん具体的にはそれぞれの雇用条件次第だし、ボーナスなど部分的な変動はあり得るだろう。
とは言えサラリーマン生活では、こんな事態にはそうそう直面するとは限らないだろう。
だがその場合でも、このメカニズムには無縁だとは言えない。どういうことか。
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個別の技能なのか個別の職種なのかは別として、社内でも「需給の変動」はあり得る。
つまり社員には、社内での「見えざる価格」が必ずついているのだ。その結果として、個別の人事異動や同職種をまとめての配置転換や組織改編が行われることになる。つまり社員のポジションが社内で「売買」されたわけだ。
社内にも「雇用市場」があるのだ。言ってみれば「社内市場」である。
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もちろんこれは一概に悪いこととは言えない。何と言っても雇用は維持されているのだし、いつまでも同じ仕事に固定されたままの方がいいとは、限らない。異動先の職場と仕事に適性を感じられれば、何も問題は無い。
だがそうでなければどうなるのか。社内における所謂「ミスマッチ」を生じる。この「ミスマッチ」に関しては次項で述べよう。
「他律性」の支配
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だがここで言いたいのは、このことだ。
即ち、たとえ表面化して直面することがなかったとしても「雇用市場」に関わる限り、この「需給変動」のメカニズムとは無縁ではいられないということだ。つまりは「他律性」から免れた生活はできないということだ。