技術革新や社会生活の変化
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「雇用市場」の三つ目のメカニズムとは、「雇用市場自身の有為転変」である。どういうことか。
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それは技術革新や社会生活の変化によって、或る特定の技能や職種や業界が消滅することである。
つまりそれらの技能や職種や業界を対象とする雇用市場が消滅することだ。新旧交代とか栄枯盛衰とか興亡とか言ってもよいが。
「職種」の消滅
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特定の「職種の消滅」とは、どういうことか。
古いことを言えば、バスのワンマン運転化によってバスガールさんは居なくなった。電話の自動交換化が完了しダイヤルイン方式が全てに普及すれば、電話交換手さんの求人は無くなってしまう。更に将来は人工知能(AI)やロボットの活用によって、様々な職種が消滅するのではないかと取沙汰されているのはご承知の通りだ。
「技能」の消滅
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特定の「技能の消滅」とは、どういうことか。
これは、例えば最近のコンピュータ関連の技術革新を想像して戴ければお分かり頂けると思う。ご承知の通り、アーキテクチャも使用言語もどんどん変わる。
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従って、自分が嘗てマスターした技術を活かしてシステム設計しようにも、どうにもならない。対象となる製品は最早製造も販売もされていない。それどころか実物が既に全て廃棄されていて、顧客の現場からも消滅していることすらあるだろう。
従って、たとえシステムエンジニアという職種は続いていても、以前にマスターした技能では全然通用しなくなっている訳だ。
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或いは生産拠点や事業拠点が海外移転してしまう場合もあることだろう。現地人スタッフの養成が完了するまでは、技能移転の為に必要とされるかもしれない。だがいったん技能の移転が完了したら、どうなるのか。
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給与水準の違いもあるし、それなら生まれながら現地の言語や習慣や制度などに精通している現地人スタッフの方が、断然有利である。
つまり同じ技能の必要性が社内で継続していても、国内ではその技能は必要性を失う。
もちろん「日本人であること」という「技能」は残っているのかもしれない。しかし、それがかえって不必要要因となってしまう訳だ。
「不可逆」な過程
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更に問題なのは、この有為転変が「不可逆」の過程であるということだ。どういうことか。
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景気変動による需給変動ならば、その過程は可逆的である。
つまりいったん下がった景気もやがて回復して上昇局面に転じる。そうなればいったん下がった均衡点の賃金水準も回復する可能性がある。
つまり景気循環があるのと同様に、いったん下がった賃金水準も元に戻る可能性がある。
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だが技術革新による雇用市場の有為転変は、不可逆だ。いったん消滅した雇用市場が再び蘇ることは無い。
従って、個人は一旦それまでの職業人生のご破算を余儀なくされる。
産業自体の「消滅」
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個別の技能や職種の場合はどうなるのか。ある程度は企業内の配置転換で吸収可能だろう。
個別の企業が破綻した場合はどうなるのか。吸収合併や事業買収や出資による再建など、ある程度は同業他社による救済が有りえる。個人単位での転職も受け入れ可能かもしれない。
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だが或る特定の産業自体が消滅した場合はどうなるのか。
その産業を対象に成立していた雇用市場はまるごと消滅する。「不可逆過程」なのだから全く受け皿が無い。
となるとその産業に就職していた個人は、全く路頭に迷ってしまうことになる。
有為転変の「加速化」
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もちろんこのような技能や職種や業界の栄枯盛衰や新旧交代は、いつの時代にもあった過程だ。
だが問題なのは、技術革新の発展によってこの過程が益々「加速化」されていることだ。
だから或る産業に新卒就職したとしても、定年までその産業が存続しているとは限らない。
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つまり産業の寿命自体が、新卒就職から定年までのサラリーマンの職業人生をカバーしきれるとは限らない。最近は、こうなってきているのではないのだろうか。
「転身」は可能か
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もちろん特定の業界の枠を超えて共通の職種と言うのはあり得る。それなら心配はないのだろうか。自分の就職していた産業がたとえ消滅しても、共通職種で他産業へ転職可能なら。
だがどんな職種でも、所属業界に対して全く中立無関係という職業は有りえない。やはりその産業、その業界、その企業での仕事に「最適化」された部分に最も価値があった筈だ。
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だから或る職種で他産業へ転職しようとするのならば、そのように個別に「最適化」された部分は捨てていくことになる。再就職試験で訴求できるのは、どんな業界でも共通な、謂わば「最大公約数」の技能部分だけになる。となると、どうなるのか。
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同じ求人に対して、その業界内部からも応募者があるかもしれない。そちらの応募者は、既にその業界独自に「最適化」された技能の持ち主だ。採用する方としては、別に他業界からの転身者を優先する理由は無い。
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同じ条件の応募者ならば、既に自社の業界に「最適化」された技能の持ち主を採用した方がいい。従って他業界からの転身者は、転身に際して著しく不利を強いられることになる。そんな惧れはないのだろうか。
産業の寿命と「職業シナリオ」
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産業自体の革新が、もっと緩やかに進んでいた場合はどうなるのか(前掲図の【図(ア)】)。
新卒就職の際に志望先を選ぶ理由は「これから伸びそうな産業か」とか、あるいは逆に「既に成長を遂げた産業だから、若手でも規模の大きなビジネスに携われそうだ」などだったことだろう(次図の【図(イ)】)。
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だがいずれの産業を選んだとしても、新卒就職から定年までその業界で「メシが食える」。個々の企業の栄枯盛衰はあったとしても、産業自体の寿命は少なくとも自分の職業人生よりは長いからだ。少なくとも自分の定年までは、その産業は存続していることだろう。
「職業シナリオ」の変化
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だが今日のように技術革新のスピードが加速されている状況ではどうなるのか。
ここで「産業の栄枯盛衰が早くなっているから、できるだけ新興の産業を選んでおこう」などと思っても、ダメである。
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入社早々、就職先の業界は急成長を遂げてわが世の春を謳歌する。だがその後あっという間にその産業自体が凋落して、サラリーマン人生の途中で再就職を余儀なくされる。
しかもその凋落は就職先企業だけではなく、同業の競合他社も含めてその産業自体が丸ごと消滅しているのだ。受け皿なんて無い。それまでの職業人生は、いったん全部ご破算である。
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「そんなことなら、最初から次世代の産業に就職していればいいじゃん」と仰るかもしれないが、さに非ず。次世代の産業は未だ生まれていない。影も形も未だ存在していないのだから、就職しようにもできっこない。
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だから、どのみち今有る産業に就職しなければならない。だがそこで「メシを食って」いるうちにトシも食ってしまい、その産業の終焉と同時に相当トウがたった身の上での再就職をせざるを得ない。
おまけに、こんなことが一回こっきりで済むという保証もない。こんなシナリオだってあり得るのだ(次図の【図(ウ)】)。
有為転変の「他律性」
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このような技術革新や社会生活の変化は、個人ではどうすることもできない。
だがその結果は「雇用市場」での個人の収入、つまり人生を左右する。これまた「雇用市場」のメカニズムにおける「他律性」の一つと言えよう。