「世の中を憂しとやさしと思へども」
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となると結論はこうだ。
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いきなり現代社会から脱出して「メシを食う」のは不可能である。
資産もなく、生産手段を所有もしていないのに、いきなり余剰生産物まで作れるような生産力水準など、自力で実現できるわけがない。
「わらしべ長者」のような話を空想していても仕方がないのだ。「宝くじ」のような僥倖と幸運をあてにしていては、現実的ではないだろう。
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となると、結局現代日本の社会の中で「メシを食う」ことにならざるを得ない。それは資本主義社会である。
「メシを食う」とは「現金(カネ)を稼ぐ」こと
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なるほど。これで分かった。
現代日本の社会は資本主義社会なのであり、働かなくては生活できない。もちろん働く目的は現金収入の確保である。
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現代日本の社会では、「メシを食う」とは「現金(カネ)を稼ぐ」ことと同義語である。つまり現金収入を得ることだ。
この認識が「それじゃメシが食えないよ」という言葉の第一の意味である。
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さて現金収入が得られなければ生きていけないということになるのであれば、何が問題か。もちろん、その水準と方法だ。
つまり「どの程度まで(幾ら位まで)稼げばよいのか」という問題と「どうやってその現金(カネ)を稼ぐのか」という問題である。
以下この点を検討する。