企業にとってできること
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うつの原因は個人の価値観と周囲や環境との衝突や挫折だ。
これを回避するためにはどうしたらよいのか。これを回避できなければうつの発症は止められず、従ってうつによる休職はなくならない。
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だが個人の価値観は千差万別だし、その全てが企業つまり職場や仕事に関することとは限らない。
企業が関与できるのは、あくまでも職業生活つまり職場や仕事に関する範囲だけだ。この前提を踏まえた上で、どのような対策があり得るのか列挙してみよう。
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因みに予めお断りしておくと、著者はもとより専門家ではないし、以下の列挙にしても職務上の体験がある訳でも自分の実体験がある訳でもない。内容としては全くの仮説である。だから、このような仮説に従えばうつ病による休職問題を解決できると保証している訳でもないし、推奨するものでもないし、実例として挙げている訳でもない。あくまでも個人的な構想に過ぎないことをお断りしておく。
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だが、その仮説の根拠を強いて言えば
「このような対策が実施されていれば、自分のうつの経過も随分違ったものになっていただろうし、ひょっとしたらうつにならずに済んだかもしれない」
という直観である。
従って、たとえ実体験に基づいたものではないとしても「実感」には基づいているとは言えるかもしれない。この仮説の目的については、後程再説する。
【列挙(例)】
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多様な職業観の許容:キャリアパスの複線化、各キャリアパスに応じた評価制度
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孤立感の解消:サンキューカード(サンクスカード、グッジョブカード)、スキップインタビュー(上級者との職階飛越面談制)、メンター制度
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自発性の開放:社内公募、社内起業、自主提案、社内異動志願(FA)制、15%ルール(自主課題への取組みの容認と奨励)
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異論の公認と奨励:目安箱制度、マイノリティーレポート(部内反対意見の別途上程の承認と義務づけ)
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もちろんこれで全部と言う訳ではない。この他にもアイディアは考えられることだろう。
またここで挙げた案にしても、全ては実際の取組み次第だ。ほんの少しの違いによって、効果が上がらなかったり、全く別の目的の施策になってしまったりすることもありうるだろう。
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さて、この列挙をご覧になって
「これはメンタルヘルス対策というよりも、企業改革や組織改革そのものではないのか」
とお感じになる方もいらっしゃることだろう。
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その通りである。
どんな企業改革や組織改革でも、現状の問題認識から始まる。
「今の当社のやり方には根本的な問題があるのではないのか。一刻もそれを早くあらためなければならない」
という認識だ。メンタルヘルス対策も同じことなのだ。
「会社は間違っていない」
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根本的なメンタルヘルス対策とは何か。
上記のように考えた上で、メンタルヘルス対策を企業改革や組織改革と並行させると、幾つもの類似点がある。
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まず、メンタルヘルス対策も企業改革や組織改革も、どちらもやたらとカタカナ語が飛び交うことだ。概念や手法について、次々と最新の流行用語が登場する。
そもそもにして「メンタルヘルス」という呼称自体がカタカナ語だ。昔は「精神衛生」という言葉があった。今日では「精神保健」ではなぜいけないのか。
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なぜ外来語で言う必要があるのか、日本語で言えばどうなるのか。以前の用語とは、どこがどう違うのか。
そんなことを考える暇もなく、新たな用語の概念消化に追われる。じっくり考えているヒマもない。なぜこんなことになるのか。
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結局のところ、それは根本的な問題の直視を避けようとするからである。
つまり「会社は間違っていない」という建前を守ろうとしているのだ。もしここで「会社」という言葉に対して抵抗感があるのなら、ここには「これまでのやり方」という語句を代入してもよい。
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ここで、企業改革や経営革新にちょっとでも関心をお持ちになった方の中には、こんなお心当たりがあるものと思う。
どんな企業改革や経営革新の物語を読んでみても、どれも煎じ詰めれば、結局「当たり前のことを、当たり前に、きちんとやる」ことに尽きているということだ。
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だから、幾ら最新刊の舶来書に書いてある概念だろうが、最近流行中の手法だろうが関係ない。
自社にとって不要なことはやる必要はない。それよりは自社にとって必要なことをやるのが先決だ。逆に他社で全くやっていなくても、自社にとって必要なことならやらねばならない。
結局は「自社にとって必要なことだが、未だ出来ていないことをきちんとやる」ことになる。当たり前の話しである。
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だが次々と新概念や新手法の導入を続けていれば、じっくり考えているヒマもなくなる。
その結果、根本的な問題を直視せずに済む。その代り、自社が懸命な努力をしているという「つもり」にはなれる。
だがこれでは、どんなメンタルヘルス対策も、どんな企業改革や組織改革であろうとも、「仏作って魂入れず」に終わることだろう。
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こう考えると、対症療法ばかりのメンタルヘルス対策が存在する理由も分かる。
これも同じく根本的な問題を何とか回避して「会社は間違っていない」という建前を守ろうとしているのだ。
そうすれば、根本的な問題を直視せずに済み、企業改革や組織改革など手間のかかることには着手せずに済む。
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何しろ「会社は間違っていない」という建前なのだ。だから「間違っているのは社員の方」ということになる。
従って対症療法ばかりのメンタルヘルス対策も、やはり「片務的単独原因論」の表れと言えるだろう。
活かすも殺すも取組み次第
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どんな用語も概念も手法も、活かすも殺すもその使い方次第だ。
つまり本当にやる気がある取り組みをしているのかどうか次第なのだ。だとすると、問題なのは取り組みの方なのだ。逆に言えば、用語や概念や手法自体には罪は無い。
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その証拠が企業改革や組織改革だ。
表面的な取り組みになってしまった企業がある一方で、企業改革や組織改革に成功している企業だって存在するのだ。
メンタルヘルス対策も同じことだ。「仏作って魂入れず」に終わる可能性もある一方で、取り組み次第では成功するかもしれない。最初から失敗すると決まった話しではないのだ。
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皆さんの中には、上記で列挙した手法に実体験のある方もいらっしゃるかもしれない。メンタルヘルス対策としてではなく、企業改革や組織改革の手法として。
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もしかしたら、その実体験は、形骸化した表面的な取り組みに接して幻滅したご経験だったかもしれない。だからこんな感想をお持ちになっている方もいらっしゃるのかもしれない。
「今更またこんな手法を持ち出して。それがメンタルヘルス対策にも有効だって?そんなのは、また掛け声倒れの表面的な取り組みに終わるのがオチなのではないのか」
という懐疑的な感想だ。
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だが上記の通り、悪いのは取り組みの方だ。
用語や概念や手法自体が間違っている訳ではない。最初から失敗すると決まった話しなのではない。
「片務的単独原因論」の行く末
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では、このように直感だけを根拠にした仮説を列挙することにどのような意味があるのか。
それは予め準備をしておく必要があるからである。
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著者の見立てでは、従来のメンタルヘルスケア対策では結局限界に早晩突き当たる。既に述べたように「片務的単独原因論」がその前提にあるからだ。その場合どうなるのか。
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何しろ「会社は間違っていない」のだから「間違っているのは社員の方」なのだ。
従って社員にばかり解決の負荷がかかる。また対策の趣旨を誤解したまま実施すれば、かえって社員に皺寄せがいく。「ブラックなシナリオ」の部分で示した通りだ。
或いは逆ギレのような反応によって、かえって社員を精神的に追い詰める結果にもなりかねない。
仮説準備の必要性
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上記に述べた仮説は、このような行き詰まりに直面した場合に備えて、その打開の方向性として用意しておくためだ。
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もちろんこの仮説としても、著者の直観に過ぎない。だからその有効性は未だ分からないし、なんの保証もお約束できない。
だがいざとなった場合に、何の準備もないままにゼロから方向性を暗中模索するよりは、遥かにマシだろう。
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従って上記の仮説は、あくまでこのような意味での例示として受け取って戴きたい。
メンタルヘルス対策は誰の仕事か
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もちろん現時点でも、各企業もメンタルヘルス対策に手を拱いている訳ではないだろう。
トップ直属の社員保健部門を組織として設置し、トップ自身が直接指示と報告をやり取りしている企業もあるかもしれない。
だがそれでは根本的対策にはならない。なぜか。
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根本的なメンタルヘルス対策を実施しようとするのならば、それは社員保健部門の担当職もでもないし、現場の管理職や社員自身が実行することでもない。
企業改革や組織改革そのものなのだから、トップ自身がやらなければならない仕事なのだ。
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もちろん企業は何も悪いことばかり生み出す存在とは限らない。
社員の意欲と創造性をひきだし、他者には追随できないような独創的な商品を生み出して、優れた経営業績をあげることもできるだろう。全ては経営次第なのだ。
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メンタルヘルス対策も同じことだ。
対策の取り組み如何によっては、うつ病で休職する社員をなくせるかもしれない。それも経営次第なのだ。
他人の心は操れない
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如何に科学が進歩したとしても、人間の心を改造することなど出来ることではない。
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もちろん各種のメンタルヘルスケア対策によって、社員の側に「気づき」や「納得」が生まれることは有るかもしれない。
だからといって、それを会社にとって都合のよい内容になるよう操作できるのか。そんなことは不可能だ。他人の心は自分の思い通りになんかならない。
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だが「片務的単独原因論」を前提にしたメンタルヘルスケア対策には、このような無理が透けて見える。それは社員の心を思い通りに変化してもらおうという企業側の都合から生じているのだ。
企業自身の「生まれ変わり」
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著者は復職時の心得として、投薬療法の医師から懇々と諭された経験がある。
「会社は変わりませんよ。あなたの方が、自分自身で変わらなければなりませんよ」
という教えだ。
もちろんこれは著者に言わせれば、企業にとって都合の良い「変身」を社員にだけ要求する、「片務的単独原因論」を前提にしている考え方だ。