作業仮説として
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何度も述べてきたように、著者は別段何の専門家でもないし、学術論文を書いている訳でも何でもない。ここで述べている内容も、全て著者自身の想定した仮説だ。
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従って、述べた仮説の内容そのものを吟味されても、ちと困る。
「対照仮説との比較検討は、これで十分なのか」とか「根拠としている情報源の資料操作は、今後どのようにして精度を統一するのか」などという吟味である。
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もとより個人の感想をまとめたものなのだから、これで内容が十分だとも完全だとも、正しいとも言わない。内容に不足や異論をお感じになる方もいらっしゃることだろう。
赤ペンを片手に
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その場合を含めて、むしろ著者としてお願いしたいのは、次のような使い方である。
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赤ペンを片手に「ここの内容は納得できる」「ここは自分の考えと違う」「自分ならこう考える」と傍線やら書き込みやらで、真っ赤にしていただくことである。つまりご自身の考えを浮き彫りにしていただくための土台として、使って戴きたい訳である。
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中にはこんな方もいらっしゃることだろう。「ここも自分の考えと違う」「この部分も違う」と赤ペンでぐいぐいと容赦なく書き込みをした結果、著者の記述を肯定している部分が全くなくなってしまったという方である。
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つまり著者の述べた内容をすべて否定する結果になったわけだが、しかしそれでも構わないのだ。その結果、ご自身のお考えは「自分の考えはこうだ」と明確になったことだろうから。
「自分の人生はこうだ」
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「自分の考えはこうだ」と言えるということは「自分の人生はこうだ」と言えることである。「自分の人生はこうだ」と言えるのなら、少々のことがあったとしてもそうそう動揺はしないことだろう。
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万一ご自身の価値観や価値が、周囲と衝突したり挫折を余儀なくされることがあったりしても、その逆境は自力で打開できる。つまりうつから脱け出せるわけだ。
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そのための起点としてお役にたてるのなら、著者としてこれに勝る幸いはない。これが執筆の目的であり動機である。